◆上原 一真 (Kazuma Uehara)
2015年、走って日本縦断(福岡→北海道、約3700km)した暇人。
走る以外は“引きこもり”。
迷走し続けてます。
<動画>
自己紹介動画もあるので、文章読むの面倒くせーって方はこちらから
↓↓↓
日本縦断ランナーが壮大な自己紹介をしながら走るでー
【阿蘇ラン】【ラントーク#4】
◆趣味 Hobbies
●ランニング
中学時代から走り始めて、現在(2019年)まで。
ランニング歴 = 14年
フルマラソンベスト = 2時間37分30秒 (青島太平洋マラソン2016)

●旅
国内外問わず。
とりあえず、世界中のいろんなところを走りたい。

■行ったことある都道府県■(41都道府県)
北海道、青森、秋田、岩手、宮城、山形、福島、新潟、長野、岐阜、富山、群馬、栃木、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、静岡、愛知、三重、奈良、京都、大阪、兵庫、岡山、広島、鳥取、島根、山口、香川、高知、愛媛、福岡、佐賀、長崎、大分、熊本、宮崎、鹿児島、沖縄
■行ったことない都道府県(やがて行きまっせ)■(6県)
石川、福井、山梨、滋賀、和歌山、徳島
■行ったことある国■(8ヶ国)
アメリカ、カナダ、イギリス、スペイン、オーストラリア、ニュージーランド、コロンビア、韓国
*2015年、走って日本縦断した時は下のルートで旅してました。
↓↓↓
●デッサン、イラスト
興味が湧いたものを好きなように描くだけ。
落書きの延長線上なので、鉛筆画を気ままに描く程度。
最近は、デジタルイラストもゆるーく始めました。
練習中。
●英語
外国人観光客を相手にするレベルでは話せる。
英語が通じる国であれば問題なく一人旅できる。
けど、ネイティブ英語スピーカーと同等に仕事するレベルではまだ無理。
ネットに転がってる英語記事とかも時間かかるけど一応読める。
長編小説とか研究論文とかはなかなか挑戦できていない。
●外国語
*勉強中・・・スペイン語、中国語
*勉強したい・・・フランス語、イタリア語、ドイツ語、ポーランド語、スワヒリ語、アラビア語
◆出自 Origin
1992年生まれ
“ゆとり世代”どまんなか。
筋金入りのゆとり。
鹿児島県・奄美大島出身
母方は沖縄、父方も祖父の代に沖縄から奄美大島に移り住んでいるので、ルーツ的には沖縄が強いのかな。
でも、自分自身は生まれも育ちも奄美大島。
要するに、沖縄系奄美人(鹿児島県民)。
◆遍歴 History
注) 長くなりすぎた。すみません。。。
●小学時代
お絵描きばっかりしてました。
漫画家になりたいとか思ってました。
すみません。
小学3年の頃、イギリスのサマースクールに訳も分からず2週間ほど放り込まれました。
英語は全くできなかったのでお絵描きで世界各国の人とコミュニケーションをとっていた覚えがあります。
●中学時代
陸上部入部。
専門は、中・長距離。
運動音痴だったけど走ることだけは努力が結果に結びついたので楽しくなってきました。
中学1年生の時に大島郡大会で1500mで3位入賞し、鹿児島県大会出場。
それ以降、陸上漬けの日々が始まります。
●高校時代
中学校卒業後は、進路のことなど何も考えず、敷かれたレールに沿って地元の公立普通高校に入学。
中学時代と同じく陸上部に入部したものの、陸上強豪校とはお世辞にも言えず、また進学校ゆえの制約が多々あり、これまでのように部活動に多くの時間を割けない環境となりました。
しかし、僕は当時から
「自分のやりたいことができないなんてあり得ない。どうしてでもやってやる!」
という自己中マインドだったので、生意気に学校に反発とかもしながら部活をしていました。
また、長距離専門の指導者がいなかったため、自分で練習メニューを作成して練習していました。
さらに、駅伝はチーム競技の側面もあるので、チームメイトの練習メニューも考えていました。
この経験が市民ランナーとして自分で考えて練習をしないといけないという今の状況にも活きていると思っています。
ちなみに、我が高校は僕の入学当初、駅伝で鹿児島県大会に出場すらしていませんでした。
「今年は良いメンバーが揃っているので駅伝の県大会に出させてください」
と学校側に相談しても、田舎の高校らしく「前例がない」という一点張りです。
そんなこんなで、競技以外の面でもいろいろな壁がありましたが、それもどうにかこうにか乗り越えて高校2年時に10年ぶりに鹿児島県高校駅伝に出場。
高校3年時は鹿児島県高校駅伝で9位まで順位を上げることができました。
なお、高校3年時の11月という受験シーズンに駅伝に参加することに関して、学校からは例のごとく猛反対を受けまして。
「走ってなんかいないで、受験勉強に集中しなさい」とぶつくさ言われましたが、
「そんなの知るか!受験より走る方が大事だ!」
ということで、強行出場。
そしたら、それまでほぼ確定していた指定校推薦が取り消されましたww
そう、つまり僕は頑固なのです。
我が生涯に一片の悔いなし!
●大学1~2年目、走ることが嫌いになった時期
とはいえ、文武両道が校訓の高校ではあったので、まあそれなりに大学受験勉強もしたわけですが、「絶対この大学に行って、○○を勉強したい!」という強い想いはなかったのです。
僕は昔から自分の気分が乗らないことには全然エネルギーを注げない性質でして。
当時もまさに「周りが勉強しているからなんとなく勉強する」という浅はかなノリでした。
そんな中途半端な覚悟では結果も中途半端。
受験でも上手くいくはずはなく志望校には見事に落ちました。
結局、滑り止めで一般受験した福岡大学・商学部に入学。
※これ、決して福岡大学をdisっているわけではないので、誤解なきよう。大学在学中は、素晴らしい出会いと経験に恵まれていましたよーん。
しかし、当時の自分にとっては“偏差値”という価値基準が強かったので、入学当初は学歴的劣等感があり、「自分はこんなもんじゃない」というプライドだけは高い勘違い優等生もどきでした。
乙!
とにかくまあ、軽い気持ちで陸上競技部に入部。
しかし、大学で陸上競技を続けることは甘くありませんでした。
というのが、周りは九州各地あるいは全国各地の強豪校からスポーツ推薦で入学してきた人たちばかりだったからです。
僕は中学、高校と平凡な学校で陸上をしてきたため、福岡大学ではこれまで僕が経験した中では一番強豪校と言われる環境下での競技生活を送ることになりました。
一気にレベルが高くなった環境ではありましたが、九州の大学にも出場権獲得のチャンスがある『全日本大学駅伝』出場などを目指してなんやかんや走っていました。
しかし、1年時の秋から故障や不調が続き、自分の思うような走りができない日々が続きます。
また、上から指示された練習メニューに取り組み、それをこなせるかどうかで自分の競技力が評価されるというトップダウン的な仕組みが僕には向いていないようでした。
思い返してみると、高校までの僕は自分で自分の練習メニューを考えていました。
このやり方においては、自分で自らの体調や状態を把握して、柔軟に練習メニューを調整できます。
つまり、自分の練習に対しては、自分の裁量権が大きかったわけです。
ところが、大学ではその仕組みが一変し、自分の今の状態にその練習が合っているかどうかに関わらず、与えられた練習メニューをこなさなければならない。
こなすことができなければ、評価は下がる。
それがプレッシャーになり、ストレスになっていきました。
まあ今思うと、これって勝手な思い込みでして。
自分で自分の首を締めていただけなんですが。。。
しかし、当時の僕はどうしようもなく視野が狭かったので、柔軟に物事を考えることができなかったのです。
そして大学2年の途中で陸上競技部を逃げるようにして辞めました。
それから、しばらくは走ることからも距離を置きました。
そこからは、いわゆる廃人生活。
走ることがなくなった自らの生活は空虚で味気なく、張り合いがありませんでした。
ところがある日、このままではいかんと、ふと走り出そうと言う気持ちになりました。
ネットで調べた社会人のランニングクラブに顔を出してみました。
恐る恐る足を踏み入れたその場所で見たのは、走ることそのものを楽しんでいる老若男女さまざまなランナー達の姿。
衝撃でした。
それは、僕が長らく忘れていた感覚。
走り始めた頃の純粋な“ランニングを楽しむ気持ち”でした。
それからは、ふっと心が軽くなり、自分のペースでランニングを楽しめるようになりました。
それまでは駅伝のメンバーに入るために必死で頑張るという意識で走っていましたが、それも止めました。
もう走るのが嫌いになってまでは走らない。
自分のペースで走り、自分の調整具合で練習することにしました。
走ることを楽しんでいる人たちと一緒に走るようにしました。
そして、初マラソンにも挑戦しました。
初マラソンは、熊本城マラソン2013で2時間46分36秒。
最初から最後まで楽しく走れました。
タイムや順位だけがランニングじゃない。
ランニングの楽しみ方はもっと自由だ。
●大学3年目、旅への情熱が再燃
「ランニングはたかが趣味である」
そう考えるようになってから、ランニング以外の事にも挑戦するようになりました。
思えば、中学・高校・大学と日本国内で陸上ばかりしてきました。
そろそろ広い世界に目を向ける時期かもしれない。
幼い頃に訪れたイギリスの牧歌的風景が僕の頭の片隅には残っていました。
なんだか、あの景色が無性に懐かしい。
「そう言えば、世界ってまだまだ広いはずだよなぁ」
そんな思いが僕の心を揺り動かしてきます。
興味が湧いてきたしまったものはもう止められません。
「井の中の蛙、いっちょ外の世界を見てきますかね」
っていうノリで海外に行くことを決意しました。
英語の勉強を再開して、大学が協定を結んでいたオーストラリア・ブリスベンのグリフィス大学における3週間の研修プログラムに参加。

その後、親に借金してカナダ・バンクーバーの語学学校で3ヶ月間英語を勉強。
でも、英語を勉強するだけじゃもったいないので1ヶ月半程カナダ横断一人旅。


旅中には価値観をひっくり返されることばかりで誇張なしで“人生変わった”と思います。
あ、そうそう。
バンクーバーマラソンも走りました。
お祭り的な雰囲気がめっちゃ良かったです。
海外マラソンもこれからどんどん走っていきたいですね〜
ちなみに、日本を5ヶ月離れている間、大学は休学してません。
大学にもよりますが、大抵の日本の文系学部ってフルで単位取っておけば、半期(半年)分は学校に行かなくてもいいくらい暇になるじゃないですか。
その暇な半年間で海外でもどこでも行っちゃえばOKかなって。
大学休学しなくても海外に半年くらい行くのは普通にできると思います。
がしかし。
5ヶ月程度海外で生活したからと言って英語がマスター出来たわけではなく、日常会話が出来るようになったレベル。
それ以上に痛感したのは、英語力を身に付けることよりも自分の言葉を持つことの方が大事だということでした。
なんとなく流暢な英語を話している人がとても優秀そうに見えてしまいますが、実は話の中身は大したことない、なんてことはよくあります。
英語であれ、日本語であれ、自分が何をどう考えているのかを本質的に表現できないといけない。
流暢でなくたっていいんです。
●大学4年目、就活から逃げる
さて、日本に戻って来て、大学4年目に入ります。
就職活動も本格化しました。
僕は海外経験を経たことで、いわゆる「グローバルな仕事がしたい」という超薄っぺらい職業観で就職活動を始めました。
しかし、どの仕事の説明会で話を聞いても「何かが違う…」という釈然としない感じ。
なんとなく興味はそそられるのだけれど、ここで自分の仕事を決定してしまう勇気が当時の僕にはありませんでした。
ああ、またこれだ。
気持ちが乗らないことには、どうにもエネルギーを注ぐことができない病。
そして、僕はまた逃げるようにして、就活を辞めました。
イエス。
これこそが、ゆとり世代の鏡。
・・・でもね。
こんなゆとり野郎の僕は気付いてしまったのです。
それは、「進路に正解はない」っていうこと。
*関連記事:“就活”しなくても仕事の話を舞い込ませる方法
ただ、みんな「ここじゃないかなあ」「ここかもしれないなあ」という感じでひとつひとつに賭けているだけなんです。
だって、みなさん
「あ、やっぱりこの仕事、何か違うかも・・・」
って思うことあるでしょう?
それは当然です。
だって、進路に正解なんてないから。
信じて進むしかないんです。
だからこそ、僕はあることに賭けてみました。
それが、自分の好きな「走ること」と「旅すること」。
それらが仕事になるかどうかはさておいて、ただ自分の“好き”という気持ちを信じて走り出しました。
●大学卒業後、日本縦断ラン
2015年3月、大学卒業。
2015年4月2日、走って日本縦断の旅に出発。



・総走歩行距離:3704km
・所要日数:148日(2015/4/2~8/27)

ちなみに、日本縦断の旅にかかった費用は約30万円。
宿泊は野宿中心で、食事は現地調達。
60万円貯めて出発しましたが、旅先で多くの人に助けられ(泊まらせてもらったり、食事を奢っていただいたりして、予定より半分の出費で済みました。

●2015年~、熊本県・阿蘇生活

日本縦断の旅を終え、次はどうしようかなどと考えながらフラフラ。
仕事の話はいくつか舞い込んできましたが、最終的に熊本県・阿蘇に流れ着きました。

ゲストハウス、アウトドアアクティビティ体験、旅館などの仕事をする傍ら、阿蘇の素晴らしい景色に癒されながら、日々ランニングを楽しむという生活。



そして、あの日がやって来ます。
2016年、4月。
平成28年熊本地震にて被災。
人生何が起こるか分からないですね〜
唯一確かなのは、「人間いつかは死ぬ」ということくらい。
やりたいことくらい、やってから死にましょう。


阿蘇では、『阿蘇ピクニックラン』という“走る”ד食べる”ד観光”がコンセプトのイベントを企画しました。
(RKK熊本情報局ジャスト 2017年1月放送)
これは多分どこの地域にも応用できると思ってまして。
日本各地、いや、世界各地で『ピクニックラン』のような企画ができたらいいな、とかも思っています。
こうして振り返ってみると、一貫して“走ること”と“旅すること”の化学反応に注目しながら活動してきたように思います。

『Team阿蘇』というランニングクラブを結成して地域のランナー達とコミュニティを作ったり。

阿蘇郡市代表として、駅伝を走らせてもらったり。
ランニングが繋げてくれるご縁に恵まれました。
おかげで今も楽しいランニングライフを送れています。
感謝。
●現在とこれから (2019年~)
現在、阿蘇生活4年目。
2019年1月 個人事業主として「走×旅 〜Running Journey〜」開業。
・ランニングコーチ (リアル / オンライン)
・阿蘇の草原牧野ガイド (トレイルランニング)
・ランニング系イベント企画・運営・運営サポート
・ネットビジネス (ブログ・メディア運営など)
とか、いろいろさ迷いながら挑戦中。
~旅は続く~
The Journey will be continued…
◆マラソン等記録
<マラソン>
・フルマラソン 2時間37分30秒 (青島太平洋マラソン2016)
・ハーフマラソン 1時間15分12秒 (奥八女黒木ハーフマラソン2019)
・100kmマラソン 9時間47分38秒 (壱岐ウルトラマラソン2018)
・東北みやぎ復興マラソン2017 年代別優勝(25~29歳) (2時間39分05秒)
<トレイルランニング>
・OSJ奄美ジャングルトレイル2017 50K 4時間12分45秒 (総合3位)
<ロードレース>
・10km 32分58秒 (2011年)
<トラック>
・5000m 15分42秒 (2011年)
・1500m 4分15秒 (2010年)
・800m 2分04秒 (2010年)
〈戦歴〉
日時 | 大会 | 記録 | 備考 |
2013. 2 | 熊本城マラソン2013 (熊本) |
2時間46分36秒 | 初マラソン |
2013. 5 | バンクーバーマラソン2013 (カナダ) |
3時間半くらい | ファンラン |
2014. 2 | 京都マラソン2014 (京都) |
2時間45分56秒 | |
2015. 2 | OSJ奄美ジャングルトレイル2015 50K (鹿児島) |
4時間37分17秒 | 総合5位 |
2015. 2 | 高知龍馬マラソン2015 (高知) |
2時間46分38秒 | |
2016. 2 | 別府大分毎日マラソン2016 (大分) |
2時間40分46秒 | |
2016. 10 | 壱岐ウルトラマラソン2016 100km (長崎) |
11時間11分30秒 | |
2016. 12 | 青島太平洋マラソン2016 (宮崎) |
2時間37分30秒 | 年代別4位 総合13位 |
2017. 2 | 熊本城マラソン2017 (熊本) |
2時間40分04秒 | |
2017. 3 | OSJ奄美ジャングルトレイル2017 50K (鹿児島) |
4時間12分45秒 | 総合3位 |
2017. 10 | 東北みやぎ復興マラソン2017 (宮城) |
2時間39分05秒 | 年代別1位 総合11位 |
2018. 3 | 鹿児島マラソン2018 (鹿児島) |
2時間41分46秒 | 年代別7位 総合24位 |
2018. 10 | 壱岐ウルトラマラソン2018 100km (長崎) |
9時間47分38秒 | |
2018. 12 | 青島太平洋マラソン2018 (宮崎) |
2時間57分15秒 | ペーサー |
2019. 2 | 熊本城マラソン2019 (熊本) |
2時間37分44秒 | 総合22位 |
2019. 11 | 奥八女黒木ハーフマラソン2019 (福岡) |
1時間15分12秒 | 総合5位 |
◆資格 Qualification
●NESTA-PFT
(全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会-パーソナルフィットネストレーナー)
NESTA-PFT
(全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会-パーソナルフィットネストレーナー)