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オピニオン Opinion

ボランティア頼りのマラソン大会はこれから厳しいぞ【問題提起】

 

どうも。
ウエハラです。

今日はかなーりセンシティブなトピック。
ランニング業界にズバッと切り込む内容となってます。

こんなこと書くと、僕、ランニング業界から干されそうな気がする。。。

書くかどうか非常に悩みましたが、やはり書きます。
僕も規模は大きくありませんがランニングイベントを何度か企画運営したことのある人間として、書きます。

あくまで僕個人の意見に過ぎませんので、ご了承ください。
ただ、ランニング業界全体が目を向けるべき問題として提起させていただきたいと思います。

ボランティア頼りのマラソン大会はこれから厳しい

ずばり、

「ボランティア頼りのマラソン大会はこれから厳しい」

っていうことです。

 

“これから厳しい”っていうか“もうすでに厳しい”と思います。

 

だって、全国各地のローカルマラソン大会がどんどん消滅していっているでしょう?

今住んでいる熊本の阿蘇でも地域のマラソン大会は減少、縮小、消滅しているものが少なくありません。

 

僕の地元・奄美大島のマラソンも今年は人手不足により不開催となってしまいました。

聞いた話ではかなりボランティア頼り、もしくは一部の熱意のある人頼りだったみたいです。

 

僕はこれ2年以上前から問題視して言い続けているんですが、今、事態はどんどん深刻になっている気がします。

 

※この記事で言う「ボランティア」は便宜上「無償ボランティア」のことを指すこととします。

 

マラソン大会の運営は、大量の人手が必要。

まず、マラソン大会ってかなり人手が必要なんですよね。

一番人手が必要なのが、コース誘導員&安全管理員

 

ここを省くことはほぼ無理です。

マラソン大会やイベントを開催する際は、その規模に関わらず警察署から道路利用許可を得る必要があって、この道路利用許可を得るには、

・参加者の安全管理が徹底されていること

・他の道路利用者にできるだけ迷惑がかからないようにすること

この2つを厳守する必要があり、そのための組織体制を整備しなければいけません。

 

ここはかなりシビアで、警察署に対しては、どこにスタッフを何人配置するかと言った詳細な情報をまとめた書類を提出しなければなりません。

また、緊急時の際の対応なども事細かにまとめる必要があります。

 

もちろん僕もこの道路利用許可を貰う際には、この手続きを行いますが中々大変です。

まぁ、とても大事なことですからね。

 

そんなわけで、公道を使うマラソン大会はその安全かつ円滑な運営をするために

膨大な数のコース誘導員や安全管理員が必要となります。

 

それに加えて、エイドステーションでのスタッフ、救護班、タイム計測員、現場監督などなど。

とにかく人手が大量に要ります

 

今のマラソン業界はボランティアで成り立っている

さて、では全国のマラソン大会は、その大量の人手をどうやって賄っているのか?

 

そう。

ボランティアスタッフです

 

ここでは、無償ボランティア、つまりお金を貰わずに働くことを指していますが、

ぶっちゃけ今のマラソン業界はこのボランティアスタッフの方々がいなければ成り立ちません

 

これだけ多くの人手が必要とされるマラソン大会運営において、すべてのスタッフに給与を支払えるほどの資金が大会運営側にはないわけです。

だから、ボランティアスタッフに頼らざるを得ない。

 

これは、全国どのマラソン大会でも似たような状況だと思います。

(例外は、周回コースを使ったリレーマラソン大会。これはコース誘導員の人数がかなり少なくて済みます。)

 

全国各地で消滅する小規模・ローカルマラソン大会。

冒頭でも触れましたが、僕の地元・奄美大島では「奄美観光桜マラソン」が人手不足を主な理由として2019年の開催が見送りとなりました。

参考記事:来年2月の開催見送る 奄美観光桜マラソン (南海日日新聞 2018 / 10 / 2)

 

似たような例では、2018年に萩往還マラニックが第30回を以て終了。

こちらも、人手不足が大きな理由とされています。

超長距離のウルトラマラソンの先駆けでもあり萩往還マラニック(最長250km)が、今年30回目の大会を最後に幕を閉じることになりました。フルマラソン・ハーフマラソンと比べて、ウルトラマラソンは、公道を交通規制をする必要がほとんどないため、大会開催はしやすく、自治体や民間企業以外の小さな組織、任意団体でも開催することが可能です。

熱意のある人を中心に大会が開催されるので、良い大会が多いのですが、特定の人に負担が重なるため、大会の回数が増えると、高齢化して、開催の継続が難しくなると行った事例が多くなっています。萩往還の終了も、このような理由で、ウルトラマラソンに関しては、今後も、新規の大会は増えるが、終了する大会も増えるという状況が続くと見られます。自治体や大きな企業の主催の場合は、運営の引き継ぎが可能ですが、そうでない場合は、大会継続するための運営体制の引き継ぎ問題は、中々解決が難しそうです。

引用:マラソン経済研究所 (2018 / 5 / 5)

 

このように、全国各地で小さなローカル大会がどんどん消滅していっています

近年は、多くの都道府県で大型の都市マラソンが開催されていますが、それらはバックに大型スポンサーがついていたり、資金力でなんとかやっているといった印象です。

その一方で、資金も人手も足りていない地方の小さな大会が次々と縮小、消滅に追い込まれているのです。

 

熱意のある人やボランティア頼りでは事業継続できない。

上記の大会の例でも述べているように、

マラソン大会が消滅する一番の要因は人手不足です。

 

大抵、マラソン大会を立ち上げた当初は熱意のある人が中心となって運営をするでしょう。

そして、熱意のある人が運営するので、良い大会になりやすい。

こういう人達は、自分の好きでやっているのでほとんど採算度外視、つまりただ働き同然(ボランティア)で働く人が多い。

 

しかし、マラソン大会が10年も継続して開催されれば運営スタッフ側も高齢化していきます。

その中で、大会運営の負担は一部の熱意のある人のみに集中していきます。

 

いくら熱意があるとはいえども、無償で働き続けるには限界があります

とはいえ、そう簡単に後継者が見つかるわけでもありません。

なぜなら、無償で働こうなんて思う人は、相当熱意があるか、相当その対象が好きな人以外にいないから

 

こうした局面に立たされた時、ボランティアや熱意のある人にばかり頼りっきりであった大会運営が一気に脆くなってしまうのです。

 

ここで誤解して欲しくないのは、僕はボランティアで働く人が悪いと言っているわけではないということ。

むしろ、無償で働くことが出来る人って凄いと思っていますし、尊敬します。

僕も微力ながらボランティアで大会運営を手伝うことはあります。

 

ただし問題なのは、そのボランティア制度に頼りっきりになってしまうこと

「ボランティアで働くのが当たり前だよね」

「ボランティアで働かせるのが当たり前だよね」

そんな意識が根付いてしまうと、マラソン大会を事業継続させる上ではかなり危険だと思うのです。

今は良くても、いつか綻びが出る。

いや。

昨今のマラソンブームが勃興して10年以上経った今、もう綻びが出始めているのではないでしょうか。

 

ボランティア制度の問題点

では、ボランティア制度の問題点

①【継続性・管理性】

②【大会の質】

③【公平性】

の3つの点から述べたいと思います。

 

①【継続性・管理性】
ボランティアスタッフは人員確保が難しく、拘束もできない。

先程も触れたように、まず

ボランティアで働く人をどれだけ確保できるのか?

っていう話です。

 

お金も貰わずに働くわけですよ。

できます?

 

もし、あなたが興味のあることや好きなことだったら問題ないかもしれません。

でも、興味もなく、好きでもないことに対して無償で働けますか?

普通は、嫌でしょう?

 

「今日は一日中、仏像についての街頭アンケート調査してください。給料は支払いません。」

って言われたら、僕も嫌ですよ。

だって、興味ないもん。

(大事な仕事かもしれませんが・・・)

 

というわけで、ボランティアスタッフを確保するのは難しい

(と、僕は思います。)

 

また、例えボランティアで働いてもいいよーって方がいたとしても

運営側はボランティアの方に対して、絶対的な拘束力は持たないと思うんですよね。

だって、労働に対して正当な対価を支払っていないから。

 

そういう意味では、ボランティアスタッフを管理するのも難しいですよね。

ボランティアスタッフに当日ドタキャンされても運営側は強く文句は言えません。

 

②【大会の質】
ボランティアスタッフ頼りでマラソン大会の質は担保できるのか?

それでも、大会運営側はどうにかこうにかボランティアスタッフを確保します。

 

え?

どうやるのかって?

 

それはですね・・・

 

学生さんですよ。

学生さん。

 

ここぞとばかりに、地元の中高生たちを大量に駆り出すのです。

普通、学生さんには給料は支払わなくていい(という常識がある)からですね。

聞こえの悪い言い方かもしれませんが、安く(もしくは無料で)使える人材なわけですよ。

 

彼らは学校の行事か何かで、強制的にボランティアスタッフとして駆り出されます。

「地域貢献」の名の下に。

彼らの中には、「面倒くせーなー」と、嫌々ながらボランティアをしている子もいるでしょう。

 

「嫌々ながらボランティア」ってどういうことですか?

そもそもボランティアって「自主的に」っていう意味でしょう?

 

「嫌々ながら自主的に」という日本語の崩壊が起きてしまっています。

矛盾極まりない。

 

さて、少し話が逸れましたが、

「嫌々ながらボランティア」をしているスタッフがいたらどうですか?

 

これは、学生さんに限りません。

「嫌々ながら、お金も貰えないボランティア」に駆り出される社会人たちだって実際にいると思うんです。

 

そういうボランティアスタッフによって運営される大会って、果たして大会の質は担保できるのでしょうか?

 

(※もちろん、ボランティアの中には熱心で本当に優秀な方もたくさんいますよ。でも、今回の話の本質はそこではないんです。)

 

③【公平性】
マラソン大会の利益はどこへ??やりがい搾取??

最後に、公平性について。

 

これは大会によりけりだと思いますが、

大会運営をして得られた収益はどこにいっているのか?

と言う話です。

 

もし、そのマラソン大会が完全に非営利なものであるなら、無償ボランティアスタッフの方々も多少は納得いくかもしれません。

「みんな無償でやってるんだから仕方ないな」

と。

 

しかし、そのマラソン大会が営利的なものだとしたらどうでしょうか?

ボランティアには正当な給与は支払われず、メインスタッフだけ儲かっている

というイメージがついてしまってもおかしくはないですよね。

 

もちろん、メインスタッフとボランティアスタッフで給与の額に違いがあるのは当然ですが、大会全体として利益を出すことを目的としているなら、

ボランティアスタッフにもせめてアルバイト代相当は支給するのが筋かと思います。

 

ちなみに、僕はマラソン大会運営は社会に対して素晴らしい価値を提供していると思うので、ガンガン稼いじゃっていいと思っています。

そして、メインスタッフにもボランティアスタッフにも正当な給与を支払う

これが理想。

 

とはいえ、これが経営的に難しいことだというのは僕も重々承知しています。

僕も何度かランニングイベントを運営する中で、なかなか人件費の問題をクリアすることが出来ませんでした

 

この難しさは、この後に説明する

「スポーツでお金稼ぎすることを許さない日本社会の風潮」

というのが一因かと思います。

 

スポーツでお金稼ぎするのは悪いこと??

ここまで、ボランティア制度の問題点を述べてきました。

でも、そもそも何でボランティアに頼らないといけないんだ?っていう話をすると、

「マラソンでは稼げないから」なんですよ。

 

見方を変えると、

「大衆がマラソン大会に対してお金を払わない」っていうことです。

 

ここには

「スポーツでお金稼ぎすることを許さない日本社会の風潮」

が関係していると思います。

 

スポーツとお金稼ぎの結び付きを嫌う人が多過ぎる。

まず、日本では(日本のことしかよく分からないんだけど)、スポーツがすごく神聖なものとして捉えられ、そこにお金の気配が感じられるのを良く思わない人達が一定数います。

はい、確実にいますね。笑

 

例えば、スポーツ選手がスポンサーの宣伝のためにテレビに出たり、SNS更新したりしたら

「お前はスポーツ選手なんだから、競技だけに集中しろ!」

と怒鳴るおじさんが絶対出てくるでしょ?

 

でも、スポーツ選手の彼らにとってはスポンサーの宣伝も大切な仕事の一つなわけですよ。

それがあって初めて競技が出来るわけです。

 

これを怒鳴るおじさんたちは、

そのあたりの社会の仕組みを分かってないのかな?

と、思います。

 

もう一つの例は、よく話題になりますが、中学・高校の部活動の指導ですよね。

これも、日本では部活動は無料で誰かから教えてもらえるもの」という意識が強くて、

部活動の指導者はほとんど無償で仕事することが多いんです。

 

大抵、学校の教員がほぼ強制的に部活動の顧問を任せられるそうですが、強制的にやらされる仕事って、もはや時間外労働じゃないですか。

それでも、給料は支払われず、わずかな手当しかもらえないってケースをよく聞きますね。

はい。

 

そんなわけで、部活動の指導を外部人材に委託する(いわゆる社会体育化)の動きが進んでいますが、現状としては、その外部指導者に対してもお金を支払えるというところまでには至っていませんね。

中々難しい。

 

ちなみに、僕も一時期、中学校の陸上部の外部指導者として指導してましたが、完全ボランティアでやってました。

経費も考えたら、大赤字です。

まぁ、好きでやっていたからそれはいいんですが。

(むしろ、とっても良い経験でしたよ。)

 

でも、お金を貰えないなら、どうしてもその仕事のクオリティって低くなるんですよ。

だって、他にお金が貰える仕事があるなら、そっちが優先になるじゃないですか。

そういうことです。

 

だから、要するに

スポーツにはお金がかかるという意識がもっと必要だと思うんです。

特に、人件費

 

その認識の上で、スポーツ(僕が語れるのはランニングだけですが)を通じた商品やサービスには正当なお金が支払われてほしいと思います。

 

「マラソンは稼げるスポーツ」という風潮になってほしい

 

スポーツには価値があるからこそ、スポーツでお金が循環するべき。

僕が、こんなに「お金、お金」って言うのは、

スポーツをただのお金稼ぎの道具と考えているから、ではないんです。

そうじゃなくて、スポーツに価値があると思っているからこそ、スポーツでお金が循環すべきだと言っているんです。

 

だって、ただ稼ぎたいだけならスポーツ以外の分野の方が稼ぎやすいですもん。

なぜなら、スポーツは神聖化され過ぎてるから。

 

「お金は血液」ってよく言われますが、僕は本当にそうだと思っていて。

お金が循環していない業界っていうのは、血液が循環していない身体のように、腐っていきます。

 

お金が循環していない業界 = 儲からない業界 に若者が飛び込んでいくでしょうか?

優秀な人材やその業界に対して熱意を持った人材でも、

その業界全体が腐っていたら、そこで頑張ろうとは思いませんよね。

 

業界を活性化させるためには、その業界で活躍する人材に正当なお金が流れる体制にならなければいけない。

人件費をケチっちゃいけない。

 

そこを改善すれば、ランニング業界がより大きな価値を社会に生み出す循環が出来ると思うのです。

人が業界を作る、と僕は思ってます。

 

お金以外にもインセンティブとなるものを認識しないといけない。

最後の最後に、どんでん返しをするようで申し訳ないのですが、

お金が全てではありません

(今更、イメージを回復させようとする。笑)

 

いや、別にイメージを回復させようとしているわけではないんですが、

人が動く理由って必ずしもお金だけとは限らないじゃないですか。

 

事実として、全国各地のマラソン大会では膨大な数のボランティアが集まるわけです。

彼らの中には嫌々やっている人もいるとは思いますが、本当に好きでお金なんか関係なく働いている人も多いと思います。

 

僕が個人的に、ボランティアスタッフが素晴らしいと思う大会は青島太平洋マラソンです。

この大会、僕は2度参加したことがあり、今年の12月で3度目の参加になります。

 

で、この大会とっても良いところがボランティアの地元の高校生達

彼らは、凄く楽しんでボランティアをしているように見えるんです。

嫌々やらされてる感を出さない。

(少なくとも表面上は。裏の気持ちは僕には分かりません。笑)

 

彼らはお金を貰わずとも楽しんでボランティアをしている(ように見える)。

このお金以外のモチベーションというか、インセンティブというのがこれからのマラソン大会運営においては鍵になるのだと思います。

 

ちなみに個人的な肌感覚ですが、今の若者はめちゃくちゃ合理的です。

昔からの非合理的なしきたりに従ってやりたくもないことをやるという若者は少ないように思います。

つまり、自分にメリットがあることだけしかやりたがらない。

(それが、良いか悪いかはひとまず置いておいて。)

 

そのメリットっていうのは、お金である可能性もあるし、それ以外である可能性もあります。

マラソン大会の運営における資金繰りの難しさは僕でも多少は想像できるので、やはりこのお金以外のメリットというものが重要になってくる気がしますね。

 

まとめ

スーパー長くなってしまいましたが、ここでスーパー短くまとめます。

 

<まとめ>

●大勢の人を動かすマラソン大会運営においては、ボランティアに対してしっかりお金を支払うことが大事

 

●そのためには、業界全体が活性化する必要があって、ランニング業界にもっとお金が循環しないといけない

 

●また、それと同時に

お金以外にも何か与えられるメリット、インセンティブを認識した方がいい

 

以上!

めちゃくちゃ気を遣って書きましたよ!笑

 

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