◆平成生まれはもう若者ではないらしい
どうも。
平成4年(1992年)生まれのウエハラです。
最近、小耳にはさんだことなのだが、
「平成生まれはもう若者ではない」
らしい。
え。
そうなの。
平成4年生まれ、現在26才の僕はうろたえた。
そうか。
あと1ヶ月と少しで平成が終わる。
平成の時代は31年続いたわけであり、平成初期に生まれた僕もそれなりにいい年をこくわけだ。
確かに最近、平成生まれと人に言ってもあまり驚かれなくなったし、
ニュースとか見てると自分より年下の子がバケモノのように活躍してるし、
何より僕の年齢を四捨五入したら三十。
押しも押されもせぬ“アラサー”である。
なんてこった。
僕が子供の頃に抱いていた“アラサー”のイメージは、オトナの貫禄たっぷりで、余裕のある人物だった。
それが何の間違いだろうか。
僕はまったく子供のままに“アラサー”になってしまったではないか。
おかしい。
これは何かの間違いだ。
あるいは、ただの「ピーターパン症候群」である。
ピーターパン症候群
大人という年齢に達しているにもかかわらず精神的に大人にならない男性を指す言葉。
(Wikipedia より)
あ、これやん。
僕、ただの「ピーターパン症候群」やん。
◆「まだ」っていつまで?
今回こんな話題を持ち出したのは、この本を読んだからだ。
この本には、それぞれの年代に響く秀逸な言葉たちが綴られている。
例えば、僕は現在26才なので26才のページをめくってみよう。
このページに、世の26才に向けた言葉が載っているわけだ。
さあ、では読んでみる。

若いからまだ大丈夫。
その「まだ」っていつまでだろ?
【Panasonic Beauty 「スチーマーナノケア」/ パナソニック】
ポスター 2014年 コピーライター:脇くみこ
ハウッ・・・!!
いや、本当に「ハウッ」だよ。
英語で言うなら“How!?”だよ。
いや、それは違うか。
どうでもいいか。
とにかく、Anyway,
「まだ」っていつまで?
「まだ26才?まだ若い?」
「もう26才?もう若くない?」
「まだ3月?まだ今年は4分の1しか過ぎていない?」
「もう3月?もう今年は4分の1も過ぎてしまった?」
ああ、そうか。
「まだ」も「もう」も物事の捉え方に過ぎないんだ。
コップに半分まで注がれた水を
「まだ水が半分も残っている」と捉えるのか。
「もう水が半分しか残っていない」と捉えるのか。
この認識の違いと似ている。
若いからまだ大丈夫。
その「まだ」っていつまでだろ?
この言葉は単に
「あなたはもう若くないんだよ?」
と煽っているだけの言葉ではない気がする。
あなたが「まだ若い」と思うなら、それが正解。
あなたが「もう若くない」と思うなら、それも正解。
自分の好きな方を選びなさいよっていうことでいんじゃないかな?
違うかな?
何と言うかその、、、
よく分からないけど、あれだ、、、
こういうところが、僕はピーターパンなんだ。
◆オトナはそんなに強くない
ついでに、僕は今年27才になるので27才に向けた言葉も恐る恐る読んでみたいと思う。

オトナになって分かった。
オトナはそんなに強くない。
【養命酒製造】
新聞 2010年 コピーライター:宮城朝一郎
あぁ~うん、
そうね。
確かに。
オトナって強くない。
オトナって大したもんじゃない。
・・・って言いたい。
そういう分かった風な口を聞きたい。
でも、それは「自分は一人前の“オトナ”である」という、なんかもう掴みどころが無さすぎる前提条件の上に言えるセリフだ。
断じて、僕みたいなピーターパンが軽い気持ちで口にしていい言葉ではない。
「そもそも“オトナ”って何なんだよ」
と、ピーターパンは思ってしまうのである。
ただ、オトナが強いかどうかなんて、僕には知る由はないけれど、
強そうな振りをしているオトナが多いな、とは思う。
果てしなく続く見栄の張り合いをしている。
掴みどころのない理想と闘っている。
これが多分“プライド”とかいうやつだ。
ここ最近の僕のテーマはこの「“プライド”を捨てること」なのだが、
別にそれが正しいとも思ってないし、正しくないとも思っていない。
つまり、何が言いたいのかと言うと。
うん。
そうだな、、、
こういうところが、僕はピーターパンなんだ。
あなたの年齢の言葉も読んでみてはいかが?