どうも。
ウエハラです。
“絶望名人”と言われるフランツ・カフカ(ボヘミア王国の作家)。
彼の代表作『変身』の衝撃的な出だしの一文は、
「朝、目が覚めたら、虫になっていた」
え、何。
インスピレーションが天才的過ぎる。
今回は、そんなフランツ・カフカの圧倒的な感受性がやたら面白くて、なんだか愛おしくなってきたというお話。
Contents
『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ』
というわけで、今回はこの本を紹介していきたい。
絶望に満ちたカフカと希望に満ちたゲーテを絶妙に対比させて、ユーモラスな語り口で二人の思想の特徴を紹介している。
“ホコタテ”が出来るのではないかと思うくらい、対極の思想を持つ二人であるが、実は彼らの境遇はとても似ている。
二人とも、裕福な家庭に生まれ、父親に期待を背負わされた。
また、二人とも作家以外の仕事を持ち、役人として働いた。
そして、恋愛を多く経験し、それにまつわる名作を残している。
境遇が似ているからこそ、思想の対比が際立つのだ。
両極端の思想を並べて読むことで、感じるところがあるだろう。
明暗それぞれに触れることで、思想と感性は豊かになっていく。
“絶望名人”カフカ

フランツ・カフカ
Franz Kafka
●1883年、ボヘミア王国(現在のチェコ共和国)の首都プラハに生まれる。
●生家はユダヤ商人の裕福な家庭。
●半官半民の労働者災害保険協会に勤めて、サラリーマン生活を送りながら、ドイツ語で小説を書いた。
●生前に発表した作品はごく一部の作家(リルケなど)にしか評価されず、ほぼ無名。
●40歳の時、結核で死亡。
生涯、迷い続けたカフカ。
繊細で傷つきやすいカフカ。
ある意味、大人になれないまま育ってしまった男と言えるかもしれない。
永遠の思春期。
永遠のモラトリアム。
それは、自分の心の声に正直過ぎるほどに向かい合った結果かもしれない。
ガラスのような感受性なのである。
カフカの恋人であるミレナ曰く、
「フランツは生きることができません。
フランツには生きる能力がないのです」
カフカは恋人にここまで言わしめる。
“希望名人”ゲーテ

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
Johann Wolfgang von Goethe
●1747年、ドイツ・フランクフルトに生まれる。
●裕福な家庭に生まれ、教育熱心な父親から英才教育を受けて育つ。
●1774年、小説『若きウェルテルの悩み』がベストセラーとなり、一躍、有名作家となる。
●ヴァイマル公国において政治家としても活躍。
●1832年、82歳で永眠。
何不自由なく育ったゲーテは根の明るい人間。
仕事でも恋愛でも積極的に攻める。
よく食べ、よく飲み、よく働き、よく遊び、よく寝る。
恋愛遍歴は数多く、5人の子供を作る。
74歳の時に19才の少女にプロポーズをした。
どこまでもエネルギッシュで、ゲーテの残した言葉はどれも力強い。
「巨人ゲーテ」と呼ばれる所以だ。
なるほど。
“絶望名人”カフカと対比するのに相応しい人物だ。
それでは、二人の思想を並べて見ていこう。
希望は高貴 × 絶望は権利
希望は高貴 [ゲーテ]

人の感情で最も高貴なのは、希望です。
運命がすべてを無に帰そうとしても、
それでも生き続けようとする希望です。
[文学論]
生き続けようとする希望。
それこそが最も高貴だと、ゲーテは説く。
なるほど。確かに。
言われてみれば、希望があれば人生何とかなる気がする。
さて。
では、カフカはどう考えるのだろう?
絶望は権利 [カフカ]

ぼくは自分の状態に、
果てしなく絶望している権利がある。
[日記]
ちょっ、、、
カフカさん・・・!!
絶望を“権利”と捉えるセンス、どうなってるんですか!?
カフカにとって触れるものはほとんど全てネガティブ。
もう絶望するしかないのだ。
希望なんてない。
多分、何かに落ち込んで絶望しているカフカをいくら励まそうとしても無駄だろう。
彼にとって、「絶望は権利」なのだ。
ああ。でも、何だか分かる気がする。
あなたも「絶望していたい時」「悩んでいたい時」ってないだろうか。
え、ない?
そうか。
・・・僕はある。
あらゆることに有能 × あらゆることに無能
あらゆることに有能 [ゲーテ]

望んでかなうことなら、
努力に値しない。
[格言と反省]
「望んでかなうくらいの容易いことには努力するまでもない」
という意味。
「望んでもかなわないことだからこそ、努力し、挑戦する価値がある」
と解釈することが出来る。
有能だからこその発言で、自信に満ち溢れているゲーテらしい力強い言葉。
実際に、ゲーテは小説、詩、戯曲においてマルチ作家として秀でた才能を発揮。
ギリシア語、ラテン語、フランス語、イタリア語、英語とさまざまな言語を操り、
医学、動物学、植物学、地質学、気象学、博物学などさまざまな科学分野に精通。
政治家としても活躍。
さらには、絵画やダンス、乗馬も得意だったそう。
まさに何でもできる万能のスーパーマンだ。
そりゃ、自信もつくはずだ。
あらゆることに無能 [カフカ]

無能、
あらゆる点で、
しかも完璧に。
[日記]
そんな、、、
「完璧に無能」って・・・!!
そこまでいくと逆に清々しいな。
でも、もちろんカフカが無能なんてことはない。
生前は作家として広く評価されることはなかったが、後世でカフカの鋭い洞察力や、深い思考、文才は世界中で高く評価された。
カフカは自信の無さゆえに、自らの作品を焼却処分することを何度も試みた。
しかし、カフカの作品を愛し評価していた親友ブロートや周りの友人はカフカの作品の出版に尽力した。
周りの数人が評価してくれるのであれば、それはもう素晴らしい才能と言っていいと思うが、カフカはそれでも自信が持てない。
これも、分からないでもない。
いくら周りが評価してくれていても、自分では納得いかなかったり、満足していなかったり、自信が持てなかったりする。
これはある意味、ベクトルが自分に向き過ぎているだけで周りは大して気にしていないのかもしれないが、妙に人間的な魅力を感じてしまうのだ。
ぐずぐずしない × ぐずぐずする
ぐずぐずしない [ゲーテ]

気分がどうのこうのと言って、なんになる?
ぐずぐずしていて、気分がのってくるわけがない。
今日できないようなら、明日もだめだ。
一日だって無駄にしてはいけない。
[ファウスト]
なんとまあ、背筋がピンと伸びるような言葉だ。
ぐずぐずしていないで、さっさとやれ。
やっている内にやる気は出てくる。
気分なんてあてにならないよ。
そんな力強い激励の言葉だ。
うん。
やってやろうじゃないか。
なぁ、カフカさん。
ぐずぐずする [カフカ]

今夜はずっと書き続けるべきだったでしょう。
ぜひともそうするべきだったでしょう。
なにしろ、ぼくの小さな物語の結末のすぐ前まで来ているのです。
一気に書き上げるほうが、統一感がでますし、夢中になれます。
それはこの結末に、どれほど良い効果をもたらすかしれません。
にもかかわらず、ぼくはやめます。
思いきって書いてみる勇気がありません。
[フェリーツェへの手紙]
・・・やめるんかい!
カフカさん!!
カフカは、どうしても考えすぎてしまう。
何事においても怖がり過ぎてしまうのだ。
この「結末」というのはカフカの代表作『変身』の結末のこと。
カフカは、この小説を一気に結末まで書き上げてしまう勇気がなくなり、そのまま未完成のままにしておこうかと考えたそうだが、幸いにも作品は最後まで書き上げられた。
しかし、この『変身』を結末まで書き上げたカフカは
「今日書いた結末に、まったく満足できません。
もっといいものが書けたはずです。それは間違いありません」
と語る。
いやぁ~もう、
ぐずぐずだなぁ!!
でも、
そんなぐずぐずのカフカだからこそ、素晴らしい作品を世に残すことが出来たのだろう。
愛されて自信がつく × 愛されても虫
愛されて自信がつく [ゲーテ]

あの人がわたしを愛している!
そのときから、
わたしは自分自身に、
どれほど価値を感じられるようになったことか。
[若きウェルテルの悩み]
恋多き生涯を送ったゲーテ。
ゲーテは恋の喜びも失恋の悲しみも詩に変えて歌い上げた。
『若きウェルテルの悩み』もゲーテ自身の実際の恋愛体験を基に書かれている。
「神が聖者のためにとっておいたような幸福の日々を、わたしは送っている。
この先、自分の身に何が起きようと、人生の喜びを、もっとも純粋な喜びを味わったのだと言っていい」
[若きウェルテルの悩み]
ゲーテは、愛し、愛されることで「人生でもっとも純粋な喜び」を味わった。
元々、自己肯定感の強いゲーテは、恋人から愛されることでさらに自分の価値を強く感じるようになった。
もう、希望しかない。
最強だ。
「愛」って強いね。
カフカさん。
愛されても虫 [カフカ]

なんと言っても、
あなたもやはりひとりの若い娘なのですから、
望んでいるのは、
ひとりの男であって、
足もとの一匹の弱い虫ではないはずです。
[フェリーツェへの手紙]
いやいや、、、
「虫」って・・・!!
ゲーテは、
「愛されることで、自分の価値を感じられる」
と言う。
しかし、カフカは
「自分が愛されるはずはない」
と考える。
自分の価値を感じないどころの問題ではない。
それどころか、自分は「虫」だと、
「一匹の弱い虫」だと言う。
しかし、恋愛や結婚におけて自己肯定感を持てない一方で、カフカは結婚を熱望していた。
「何よりも結婚を追い求めていた」
「結婚のために真剣に闘っていた」
[ミレナへの手紙]
そう。
カフカもカフカなりに結婚に向けてがんばっていたのだ。
しかし・・・
「職場にいる若い夫や老いた夫。彼らの幸福はぼくには手が届かないものだ。
たとえ届いたとしても、ぼくには耐えられない。
だが、それこそが、ぼくを満たしてくれる唯一のものなのだ」
[日記]
やっぱり“絶望”に落ち着いてしまう。
それがカフカ。
【まとめ】
理性でゲーテを尊敬し、感性でカフカに共感する
いやぁ、二人とも凄い。
対極っぷりが凄い。
ここまで思想が対極な二人の言葉を読むと、どっちを信じたら良いのか分からなくなってくる。
でも、それで良いと僕は思っている。
二人の思想はどちらも正しいからだ。
ただ、その時のあなたの状況や心境によって、ゲーテとカフカ、どちらの言葉がより心に響くのかは変わってくるだろう。
その時々で必要な言葉を心の養分とすれば良いのだ。
僕は、頭の中ではゲーテの考え方が正論だと思うし、強く生きるためにはゲーテの思想が合理的だと思う。
その一方で、僕はカフカの思想にもとても共感するし、愛おしささえ感じる。
こちらはどちらかというと感情的なもので、合理的ではない。
人間は合理的に考えることを目指すが、完全に合理的な生き物ではない。
人は常に強く合理的に生きられるわけではなく、時には弱く感傷的になることもある。
だから、きっと我々人間には、「理性」と「感性」の両方が必要なのだ。
「理性」でゲーテを尊敬し、「感性」でカフカに共感する。
この使い分け方が良いと思った。
対極の思想を同時に学ぶって面白いね。
『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ』
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