LAVERDAD - Running Journey
地球のどこかで走り回ってます。2015年、走って日本縦断しました。主に役に立たない記事を書いていきます。
オピニオン Opinion

【書評】『無駄なことを続けるために』~世の中は無駄なもので溢れてる

 

どうも。

ウエハラです。

 

「センスの塊」でしかないと思います、この人。

『無駄づくり』チャンネルを運営するYouTuber・藤原麻里菜の著書。

 

『無駄なことを続けるために』 / 藤原 麻里菜

 

『無駄づくり』チャンネルをご存じない方は、
こちらから動画をいくつか観てみるとよいかと!
↓↓↓

※見始めると止まらなくなるので要注意。
(個人的に、ヒモ貯金箱はめっちゃ好き。)

『無駄づくり』で発明される作品の発想力もさることながら、

映像編集においても“沈黙”の含ませ方や“シュールさ”といったところにセンスをビシビシ感じます

 

というわけで、今回『無駄なことを続けるために』を読んで、

ピックアップした3つの要点と、1つの僕の所感を書いていきます。

Ⅰ.“無駄”なものでも、生み出さないと価値はない

 

「無駄なことをする意味はあるのか?」

いやもう、そんなことを考えること自体が“無駄”なんですよね。

(『ジョジョの奇妙な冒険』)

 

それが無駄なものなのか、はたまた無駄なものではないのか

そんなことは、世の中に出してみないと分からないですよね

 

自分が良いと思ったアイデアでも、頭の中に閉じ込めていては、社会的価値はない

どんなに面白いアイデアでも、作り始めないとただの空想だ。

どんなに無駄なものでも、世の中に生み出さないと無駄以下だ。

 

アウトプットするかしないかというのは大きな境界線です。

 

本を読む人はたくさんいますが、それを書評にして公開(=アウトプット)する人は少ないです。

自己啓発本を読んでも、それを実際に行動に移す(=アウトプット)人は少ないです。

 

アウトプットしないことがダメとは言いませんが、アウトプットしなければ社会的な価値は生まれません

 

確かに、アウトプットするだけで社会的価値が生まれるのか、と言われれば、必ずしもそうではありません。

しかし、少なくとも価値が生まれる可能性はあります

 

僕が今書いているこのブログだって、もしかしたら“無駄”なことだと思われているかもしれないですし、大した社会的価値を生んでいるとは言えないかもしれないです。

 

でも、アウトプットしなければ社会的価値はゼロ

本を読んだだけで終わってしまったら、それは単なる“消費”であって、“生産”ではないんです

 

Ⅱ.“続けること”で見える景色がある

 

“無駄”なことを始めるのは勇気が要りますが、その“無駄”なことを“続ける”のはもっと勇気が要ります

 

僕もブログを書いていて、時折、いや、頻繁に、不安になってきます。

 

「こんなことにずっと時間と労力を割いていていいのだろうか?」

「こんなことをしていて意味があるのだろうか?」

 

そんなことを考えること自体が“無駄”だと分かってはいますが、どうしてもそんな思いが頭をよぎります。

続けないと見えない景色がある。

それを見るために続けているわけでもないのだが。

ただ、続けることによって予想もしない場所に行けるし、思考が明瞭になってくる

 

“無駄なことを続ける”ことは、暗闇をさまよい続けているようなものです。

でも、その中で少しずつ視界が明るみ出し、思いがけない発見チャンスに恵まれることがあります

 

この言葉を読んで、4年前に『日本縦断ラン』をしていた時を思い出しました。

福岡から北海道まで3,700kmもの道のりを走り続けている途中、

 

「なぜ、僕はこんなことしているんだろう?」

 

「こんなことしていても“無駄”なんじゃないか?」

 

と、7億回くらい思いました。

 

それでも、迷いながら進んでいく中で、思わぬ出会いやチャンスにたくさん恵まれました。

間違いなく、人生の宝です。

 

あの経験は、“無駄”ではありませんでした

 

これは、やり続けたからこそ見えたことなんです。

 

Ⅲ.“見せ続けること”が『信頼』と『仕事』に繋がる

 

次に、ちょっとお金チック商業的なお話。

 

“無駄なことを続ける”とはいえ、何かを継続的に行うには“お金”が必要だよね

そのためには価値を生み出していかないといけないよね、っていう話です。

はい。

 

では、価値を生み出すにはどうすればいいか


先ほどの話と重複しますが、それは「アウトプットすること」つまり「見せること」であると。

“見せる”ことで広がる。

何かが起こるのだ。

そして、それが“稼ぐ”ことへと繋がる。

 

激しく同意。

「見せる」ことで、

「何かが起こる」

 

「何か」が何かは分かりませんが、「何か」的な「何か」が起こるのです。

Something of サムシング。

 

いや、具体的に何が起こるかは分かりませんよ。

 

・・・でも、人生なんてそんなものだと思うのです。

実に、予測不能

子供の頃に描いていた通りの人生をそのまま歩んでいる人なんて、世の中にどれくらいいるのでしょうか。

人生、何が起こるか分かりません。

 

3年前に、

『“就活”しなくても仕事の話を舞い込ませる方法』

という記事を書きました。

“就活”しなくても仕事の話を舞い込ませる方法 これ、書くかどうか迷いましたが・・・。 なにせ自分みたいな若造が「仕事論」をいろいろ語っても説得力ないですから...

 

『日本縦断ラン』の経過報告などをブログで発信し続けていたらいろんな仕事の話が舞い込んできたという話です。

進路に「正解」がないとするならば、その時その時で自分のセンサーが傾くものを信じて『やり続けること』『発信し続けること』

後は、流れに身を任せれば割と面白いことになるんじゃないかな、と思うのです。

 

3年前の僕も結局は

『やり続けること』『発信し続けること』

この2つに落ち着いていたようです。

 

Ⅳ.世の中は、実は無駄なもので溢れている

 

最後は、僕の所感になりますが、

「世の中は、実は無駄なもので溢れている」のではないか?

という話。

 

ランニングなんて、まさに“無駄”と紙一重である。

今でこそランニングブームと言われていますけど、本来は所詮「走るだけ」の行為です。

 

僕みたいなランニング中毒者にとっては、「走ること」は価値あるものですが、

世の中には「走ること」に何の社会的価値も感じない人がいますし、そういう人達は、「走ること」は“無駄”なものとさえ思うでしょう。

 

しかし、歴史を紐解いていくと、ランニングに対する大衆の価値観が大きく変わってきたということに気が付きます。

 

1896年、アテネで行われた第1回オリンピックでマラソンが開催されたことが近代マラソンの始まりとされています。

しかし、当時のマラソンは競技的な側面が強く、一握りのアスリートのみが行うスポーツでした。

その当時ではおそらく、一般人が「走ること」に価値を見出すことはほとんどなかっただろうと思います。

 

「走らなくてもいいように、車や電車が発明されたのに、なんでこいつらはわざわざ走るんだ?」

と思っていた人も少なからずいたでしょう。

 

しかし、現代は空前のランニングブーム

日本人の15人に1人はランニングを楽しんでいると言われていて、全国各地のマラソン大会のエントリーは一瞬で埋まります

 

かつては、“無駄”だと思われていたランニングですが、

今では全国のマラソン大会で何千人から何万人もの人間が一同にゼーハー言いながら走っているんです。

 

“無駄”とは、何ぞや・・・??

 

で、結局何が言いたいかというと、

人によって価値観は異なるし、時代によっても価値観は大きく変わる

っていうことなんです。

 

“無駄”なものは、ある人から見れば“無駄”でありある人から見れば“無駄”ではない

“無駄”なものは、ある時代では“無駄”と見なされ、ある時代では“無駄”とは見なされない

 

そして、インターネットが発達した現代は、様々な人々の様々な価値観が、飛び交い、入り混じり、拡大し、浸透していきます。

しかも、物凄いスピードで

 

あなたが今まで心の内に秘めていた価値観好きなものに対する情熱が社会に認められるかもしれません。

また、それを認めてくれるような小社会、コミュニティを見つけ出すことも容易になりました。

 

このように、多様な価値観が日の目をみるようになったことで、“無駄なもの”と“無駄でないもの”の境界線が非常に曖昧になりました

 

「やってみないと分からない」

まさに、そんな時代になったのだと思います。

 

そんな気付きが得られた本でした。

 

『無駄なことを続けるために』 / 藤原 麻里菜

 

自分の価値観を大事にした人生を送りたいならば、ぜひ参考にしておきたいロールモデルの一つ。

 

文才もある方なので、読み物としての面白さも十分。

ぜひご一読あれ。