OT Running Journey
地球のどこかで走り回ってます。2015年、走って日本縦断しました。主に役に立たない記事を書いていきます。
オピニオン

「頑張ろう」という“気分”に頼っていては、いつまで経っても頑張れない

 

「来月から頑張ろう」

と、年に12回くらい言っている気がする。

 

「明日から頑張ろう」

年に365回くらい言っている気がする。

 

「来年から頑張ろう」

今までの人生で26回くらい言っている気がする僕は26歳である。

 

もしかしたら、生まれる前から「今回の人生は頑張ろう」なんて思っていたかもしれない。

 

あらあらあら。

I am THE 口だけ ちゃん

 

このままではまずい。

何かがまずい。

 

ということで、今日は自戒も兼ねて、自己啓発的な記事を書きたいと思う。

 

◆人間の気分ほどあてにならないものはない

 

もちろん、自分が頑張れているときもあるにはある。

 

けれど、そこには持続性がなかったりもするし、「今日は頑張れた」と思っても突発的なものに過ぎなかったりもする。

 

再現性がなく、不安定な「頑張ろう」

 

人が「頑張ろう」と言う時に、

「頑張ろう」という気持ちに嘘はないのかもしれない。

いや、きっとないだろう。

 

しかし、ほとんどの場合、その気持ちは所詮“気分”に過ぎない

 

人間の気分ほどあてにならないものはない

「頑張ろう」という気分に頼っていては、いつまで経っても頑張れない

 

「今日こそは走ろう」

「明日から走ろう」

と思っても走れない日がある。

 

どうしても気分が乗らない日がある。

 

そう、“気分”だ。

結局、“気分”に負けてしまうのである。

 

◆“気分”も大事なんだけど

 

まず、ここで勘違いして欲しくないのは、気分も大事、だということ。

気持ちも大事、だということ。

 

事実、何か大事な決断をする時、人は結構“気分”で決断する。

 

「正しいこと」ではなく「なんとなく正しそうだと思えること」を選択する。

「正しいこと」ではなく「なんとなく面白そうなこと」を選択する。

 

「理性」ではなく、「感性」で選択する

 

それはそれで全然OK。

 

大事な決断をするときは、そういう「感性」「直感」みたいなものが最終的に一番信頼できる

 

が、しかし、だ。

 

何かの目標を定めて、そこに向かって「頑張ろう」とした時。

“気分”というものは、時として邪魔になる

 

「次のマラソン大会で〇〇時間〇〇分を切るために、練習を頑張る」

とか、

「〇〇の大学に合格するために、勉強を頑張る」

とか、

「〇〇の資格を取るために、勉強を頑張る」

 

そういった決意をした後で、ではいざ頑張ろうとした時、“気分”という奴があなたの邪魔をし始める

 

まず、「頑張ろう」という気分。

これは本当にあてにならない

 

繰り返しになるが、人間は気分に負けてしまう

気分はほぼコントロール不可能なのだ。

一時的な「頑張ろう」という気分なんてすぐに覆ってしまうものなのだ。

 

次に、「頑張りたくない」という気分。

実はこれも、本当にあてにならない

 

僕のランニング生活を例を挙げてみよう。

僕は「走ることが好きだ」

多分、これは心からの気持ちだと思うし、嘘はないと思う。

 

しかし、だ。

実は、「走りたくない気分」のときも、たまにあるのである。

いや、割と多くある。

いや、むしろ、しょっちゅうある。

 

「あー、今日は走りたくないなぁ」

そんな気分の日がほとんどである。

 

けれど、そういう気分はやっぱりあてにならなくて、いざ走ってみると

「ああ、走って良かった」

と後になって思うのである。

 

走らなくて後悔することはあっても、走って後悔することはほぼない。

 

走る前はあんなに「走りたくないなぁ」と思っていたのに、

走った後はそんな気持ちは驚くほど完全に消滅していて、全く人間の気分はあてにならないなぁ、と思うのである。

 

これは、脳科学的には“作業性興奮”とも言われており、

「やる気は、やり始めてから、湧き出てくる」

とかいう、あれである。

 

◆“気分”に頼るのではなく、“仕組み”を活用する

 

さて、いかに“気分”があてにならないかを語ったところで、じゃあ何を頼ればいいの?という話。

 

それは“仕組み”だ。

 

“気分”や“感情”を捨て、“仕組み”に頼る

正確に言えば、“仕組み”を活用するのである。

 

またまた、僕のランニングの体験を例に挙げる。

 

僕がマラソンの練習を頑張れていた時期というのを振り返ってみると、いくつかの“仕組み”が浮かび上がってくる。

 

『逆算型の練習スケジュール』

 

ある特定の大会に照準を定めたら、そこから逆算して練習スケジュールを結構細かく決めていく

 

この大会で〇〇時間〇〇分で走るためには、この時点でこれくらいで走れるようになっていないといけない、この時点ではこのくらい・・・

という風に、マイルストーンも設定していく。

 

ここで強調しておきたいのは、積み上げ型ではなく、逆算型だということ。

 

僕は、積み上げ型の練習には計画性がないと思っていて、それがフィットする時期もあるのだけれど、特定の大会を基準にして練習スケジュールを管理する場合は逆算型が向いていると思う。

当日の思い付きで練習メニューを考えて練習するのではなく、長期的な目線で戦略的に練習する、というイメージ。

 

思い付きの練習では、あの“気分”という奴に付け入る隙を与えてしまう

“気分”が入り込む余地をなるべく減らし、淡々とスケジュールをこなすのだ。

(もちろん、現状に即してスケジュールの見直しは必要。)

 

『ミクロ的時間管理』

 

“気分”が入り込む余地を減らすという意味では、『ミクロ的な時間管理』も有効だ。

 

一般的な社会人にとって最も“気分”が入り込みやすい時間帯

それは仕事が終わった直後ではないだろうか。

 

仕事後の疲労困憊の状態では「ああ、今日は走りたくないなぁ」というあの“気分”が牙を剥いてくる。

 

そこでだらだらと走りに行こうかどうか葛藤していると、あっという間に1時間が経ち、2時間が経ち、結局走らない。

そして、後悔。

 

身に覚えがあり過ぎる。

 

だから、例えば

「仕事が終わって帰宅後、30分後に絶対スタートする」

と決めてしまうのだ。

 

6時に帰宅する人は6時30分にスタート

遅くもなく、早くもなく、この時間にスタートする。

 

“気分”や“感情”を徹底的に殺し、この時間になればスタートする。

 

大丈夫。

走り始めたら良い気分になるのは分かっている。

 

朝走る人は起床してから15分後とか、30分後とかにスタート時間を設定して、そこまでの行動を完全にルーティン化する。

 

トイレ、着替え、靴紐結んで、玄関を開けて外に出る。

ここまでのルーティンを何も考えずに実行。

“気分”や“感情”に付け入る隙を与えない

 

THE 無感情

 

完膚なきまでに感情をなくす。

果たして、私は心ある人間なのだろうか・・・?

 

そんな迷いもいざ知らず、ただひたすらに無感情。

“精神論”ではなく、“無精神論”

 

その先に見えてくるものがある。

 

・・・かもしれない。

 

『有言実行』

 

これは今まさに僕がやろうとしていることなのだが、周りに

「私はこれをやります!」

と宣言して自分にプレッシャーを与える手法だ。

 

世間的には『無言実行』

何も宣言せずに、しれっと行動している

という方がカッコいいのかもしれない。

 

けれど、僕は『無言』で頑張れるほど強くはなくて

むしろ『有言』しないと頑張れない気がするので、まずは『有言実行』を目指していきたいと思う。

 

◆窮屈過ぎな感じで終わりそうなので・・・

 

というところで締めてしまうと、あまりにも窮屈なので、最後にゆとりあることを書くことにしよう。

 

別に僕は以上のことを他人に押し付けるつもりはないし、

「人生は常に頑張っていないといけない」

とも思っていない。

 

「頑張りたくない気分」を大事しなければいけないときもある。

頑張り過ぎて壊れてしまう人がこの国には多過ぎる

 

前述したが、肝心な時には「感性」「直感」が大事だ。

逃げるべき時には、逃げるべきだ

そんなときは、頑張らなくていい