LAVERDAD - Running Journey
地球のどこかで走り回ってます。2015年、走って日本縦断しました。主に役に立たない記事を書いていきます。
オピニオン Opinion

『ブログやSNSで発信しまくる人はナルシストなのか?』問題について考えよう

『ブログやSNSで発信しまくる人はナルシストなのか?』

あれだ。

主にFacebookやInstagramで投稿しまくる人のことだ。

Facebookで発信しまくるのは中高年層の方々。

近年では「エアポートおじさん」なる者も現れている。
空港でこれから飛行機に乗って出発することをアピールしたくてたまらないおじさんたちだ。

ちなみに僕は個人的に、これは非常に微笑ましい。
「かわいいなぁ」と思ってしまう。

その人がどこに行くかはあまり興味ないけど。

Instagramではもう少し若年層が発信しまくる。

キラキラした投稿リア充投稿で溢れていて、楽しくなることもあれば、ちょっとひがみっぽい気分になることもある。

SNS時代と言われるようになって久しいが、とにかくネット上のいろんなプラットフォームで個人が発信しやすくなった

とにかく発信する人が増えた

かく言う僕もまさにそうで、FacebookやInstagramなどのSNSは割とヘビーユーザーである。

さらには、ブログもやっているので、いよいよ言い逃れできないほど“発信しまくる人”になってきている。

さて、彼ら(僕も含めて)は何ゆえ発信するのか?

自己顕示欲からか?

ナルシストなのか?

結構タブーな話題じゃないかな。

僕自身、長年タブー視してきた話題であまり切り込んで考えてこなかったのだけれど、ちょっと頭の整理がてら文章化してみよう。

◆結論→イエス

結論から言ってしまおう。

結論から、はっきり、言ってしまおう。

結論は、イエス。

『ブログやSNSで発信しまくる人はナルシストである。』

まあね。

そりゃそうだ。

多かれ少なかれ、ナルシスト要素はあるはずだ。

多少の自己愛があるからこそ、人はそれを社会の中で表現するのである。

全く問題ない。

至って健全だ。

もちろん、個人の色を出さないような、完全に「価値情報提供型」のブログもたくさんあるけれども、ここでは便宜上“個人の想いや行動”を表現するタイプの発信のことを指す。

◆いや、でもあなたもナルシストですよ?

と、ここまで言うと、

「ほら見ろ、ブロガーやSNSで投稿しまくる奴はみんなナルシストなんだ。気持ち悪い。」

「ネットで発信なんかやるもんじゃない」

とか言う人が出てくるかもしれない。

まあ、それはそれであまり気にしないのだけれど、以下の人達。

「こういうことを投稿したら、周りに気持ち悪いと思われちゃうかなぁ」

「こういうことを投稿したら、周りにナルシストだと思われないかなぁ」

と、何かしらの投稿・発信をする前に考えてしまう人達。

大丈夫。

そういうことを考えている時点で、あなたも立派なナルシストである。

他人の目を気にするという人は、実は他人のことを気にしているのではない

他人から見られている“自分”を気にしているのだ。

カッコいい“自分”として見られたいのかもしれない。

優秀な“自分”として見られたいのかもしれない。

人生を楽しんでいる“自分”として見られたいのかもしれない。

なにか“理想の自分”というものがあって、とにかくめちゃくちゃ“自分”というものを意識している。

まさに、ナルシストである。

そして、僕もいまだに

「こういうことを投稿したら、周りに気持ち悪いと思われちゃうかなぁ」

と、考えてしまうことはある。

つまりは、“自分”に対する理想が高いのだ。

他人の目に映る“自分”を気にするあまり、本来の自分とはかけ離れたところに囚われてしまうのだ。

(本来の自分なんていうのも、非常に曖昧な存在・概念なんだけれども・・・)

僕はこのタイプのナルシシズムはちょっと危険だと思っていて、単純に生きにくくなるから、というのがその理由だ。

僕が愛読している坂爪圭吾さんのブログ『いばや通信』ではこのように書かれている。

いいことを書こうとするからダメなんだ。いいことも、悪いことも、全部ひっくるめての自分なんだ。だから、全部書け。いいことを書こうとするな。ただ、自分であれ。その純度が、それに触れた人間の純性に波紋を起こし、なにかしらの啓発や行動に繋がるのだと思う。

坂爪圭吾『いばや通信』2018/12/14より

どんな文章が人の心を打つのか、と言えば、それは『正直な文章』だと思う。

自分の発信内容に嘘はないだろうか、そこは常に自問していきたい。

◆発信者を攻撃する人達

ナルシシズムの話からは少し軸がズレるが、

「こういうことを投稿したら、周りに気持ち悪いと思われちゃうかなぁ」

そういったことを気にする背景にはもう一つある。

“発信者を攻撃する人達”の存在だ。

とある表現の仕方や投稿の内容が時に他者を不快にさせることはどうしても起こり得る。

そして不快な思いをした人たちは、その“発信者”を攻撃し始める。

あるいは、不快な思いをしていなくても、ただのストレス発散のためだけに攻撃してくる人もいる。

そして、それはほとんどの場合、間接攻撃かあるいは遠距離攻撃

「あんなこと投稿しちゃってイタイよね」

「誰もお前のことなんか興味ないわ」

「見たくもない投稿を私に見せないでほしい」

などといったことを本人に直接ではなく、本人から見えないところで、言う。

もしくは、ネット上で匿名で、言う。

そういった言葉に“愛”があることもあるし、“愛”ある指摘なら問題ないとも思う。

しかし、ほとんどの場合、“愛”ではなく、ただの“罵倒”だ。

これはまあ、ネットの仕方ないところなのかもしれない。

しかし、逆に、発信する側としては、

「見たくないなら、見なければいいですよ」

っていうことに尽きる。

本当に。

怒っているとかそういうことではなく。

僕はこの「見たくなければ、見なければいい」こそがネットの本質だと思っている。

テレビのように、公共の電波で、しかも数少ないチャンネルの中で、自分が見たくもない番組が流れている、というわけではない。

ネットでは情報がほぼ無限のようにあり、自分で見たいものを選び取れるのだ。

自分が見たくないものは見なくていいし、見たいものは見ればいい。

それが出来るのがネットの凄いところだ。

Facebookでは、特定の人の投稿を見ないように設定することもできるし、ブロックすることもできる。

だから「見たくもない投稿を見せないでくれ」という意見は的外れではないか、と思う。

というか、そういうことを言ってしまう人は多分ネットに向いていないかもしれない。

自分の心を消耗させてしまう情報ばかりに目が行ってしまい疲れてしまうだろう。

これが、いわゆる“ネット疲れ”

実際に僕も“ネット疲れ”することはあるし、見たくもないものを見てしまって気分が下がることもある。

でもそれは自分自身の問題であり、自分でどうにでもできる問題なのだ。

では、どうすればいいか?

ネット遮断!

はい、即解決。

走りに出かけている時とかは基本「ネット遮断状態」だしね。

これが結構、心の健康に効く。

オススメ。

さあ、ネットに疲れたら、靴紐を結んで走りに出かけよう。

◆見たいと思ってくれている人を大切に

最後に言っておきたいのは。。。

発信者は「こんな投稿でも見てくれる人がいるかもしれない」という思いで、自らの投稿をネットの大海原に放つのだ。

地球上に70億人以上の人間がいて、もしかしたらその何人かが気に入ってくれるかもしれないじゃないか。

もしアンチの声を気にして発信しなければ、そういった人達に価値を届けることが出来ない。

僕のこのブログも、有難いことに、楽しみに読んでくれている人がいるらしいのでそういった人たちの存在をモチベーションに書き続けていこうと思う。

キマッたぜ。。。