『ランニング飛脚便』 2日目(10/13)
福岡県・那珂川町~佐賀県・吉野ヶ里町
●那珂川町発


昨晩は、福岡県・那珂川町の中ノ島公園で野宿をして夜を明かす。
福岡の中心からたった20km離れただけで山に囲まれた静かなエリアに入る。
そこでは、19時を過ぎるともう、まばゆい星空が頭上に広がっている。
山の向こうには福岡市の街灯りがぼんやりと輝いているのが見えた。

そして、朝。
「寒い!」
川の傍ということもあって、朝晩の冷え込みは予想以上だった。
考えてみたら、もう10月中旬である。
そりゃあ寒い。
寝袋のみでの野宿は今週いっぱいまでだろう。
実際、寒さのあまり夜中に何度も目が覚めた。
久しぶりの野宿の洗礼であった。
余談ではあるが、寒い環境=過酷な環境でこそ人間の身体は逞しく成長するそうだ。
それは科学的にも証明されているようで、寒い環境下におかれると体内のミトコンドリアが活性化するそうである。
なるほど。
日本縦断ランで野宿で凍えてばかりいた僕が一度も風邪をひかなかったのも少し納得がいく。
軽く体操と筋トレをして身体を温めた後、7時半に中ノ島公園を発った。

早速、急勾配の上り道が続く。
まずは、この脊振山(せふりやま)を越えて佐賀県に突入する。



古い日本を感じられるような雰囲気のある山道を走っていく。
上り坂なので、ペースは7分/km近くかかっていた。
筋トレのつもりでじっくり走る。



やがて峠を上り切った。
10kmも走らないうちに500m程上った。
もう目の前に広がるのは山並みばかり。
この人界を脱した感が少しワクワクする。


東脊振トンネルの手前で佐賀県に入る。


このトンネルは有料らしいのだが、料金表に「歩行者料金」が記載されていない。
まさか、歩行にはお金はかからないだろう。
うん、多分大丈夫だろう。
何も言われなかったので、そのまま通過した。

トンネルを抜けた途端、それまでの山道から一気に景色が開けた。
佐賀のイメージらしく平野が広がっている。
秋晴れの澄んだ空気が気持ち良い。

道の駅・吉野ヶ里(さざんか千坊館)にて休憩。
駅の人と話したり、メールのやりとりなどをしたりして時間を過ごす。

いけすで泳いでいるヤマメを捕ってその場で調理する「ヤマメの塩焼き」が美味かった。
●吉野ヶ里町

昼過ぎに道の駅・吉野ヶ里を発つ。
道中、2度イノシシの遺骸を見かけた。
やはり東北などを走っていた時とは見かける動物が違うなとしみじみ感じる。

脊振山を下りると、佐賀の平野が眼前に広がる。
黄金色の稲が美しい。

吉野ヶ里市街に入ると、取り敢えずここへ。
日本最大級の環濠集落遺跡・吉野ヶ里歴史公園。
近くにあるにも関わらず中々行かないので、この機会に入ってみた。
有名観光地と聞くとちょっと冷めてしまう天邪鬼な僕だが、それでも普通に楽しめた。
入場料420円は少し高い気もしたが、公園自体がかなり広く見所が沢山あるので、十分元が取れる。




それにしても昔の人たちの頭の良さというか知恵には本当に驚かされる。
吉野ヶ里の史跡全体が、太陽の動きなどを基に緻密に計算されている。
櫓から伸びる影を基に季節ごとの稲作を営んでいたそうだ。
そしてその構造はエジプト、マヤ、黄河など世界中どの文明においても同じらしく、つまりは、農業がどの世界でも絶対的な重要性を持っていたことを意味する。
時計もコンパスもない時代に、食糧を確保する手段を昔の人たちはあれこれ考えたことだろう。
そこに知恵が育まれる。
僕が生まれた時代の日本は既に、今日明日の食べ物を心配することはなかった。
昔の人たちとは根本から意識が違うのかもしれない。
さらに科学的にも、昔のやり方が現代のやり方よりも機能的であったという話も最近よく聞くところだ。
特に栄養学や運動生理学。
一日三食は食べ過ぎだとか、ご飯とみそ汁で十分な栄養が摂れるとか、靴のクッション性に頼りすぎるのは身体に良くないとか…
まあ、これらは実践するのが難しいのであるが。
現代と古代、優劣の問題というよりは、「見直すべき歴史がある」といったところだろう。
さて、吉野ヶ里歴史公園で古代に想いを馳せたところで、寝床を探す。
すぐ近くに吉野ヶ里モールがあったので、閉店するのを待ってから野宿しようとする。
ところが、寒い。
深夜1時でこの寒さなら、夜明け前にはさらに寒いだろう。
野宿するのが億劫になっていた僕の目は奇跡的にあるものを捉えた。

24時間営業のコインランドリー。
24時間営業というのが意外と珍しいのだ。
人もほとんどいないようだったので、少し寝させてもらった。
翌朝早く出ていくので許してください。
[2日目・走行距離:23km]
[累積走行距離:42km]
