やりたいことをやるには“暇”であれ
あなたの周りにいないだろうか。
スケジュールがぎっしりと詰まっていて
「忙しい俺、イケてる」
という雰囲気の人。
あたかも忙しくなければ仕事をしているにあらず、といった風である。
忙しければ忙しいほど、“出来る人”というイメージが蔓延している。
特に若者の間ではお互いに見栄を張ってしまうものなので、兎にも角にも
「自分は“出来る人”として、忙しくなければならない」
という思い込みに縛られ、延々と忙しさアピールの戦いが繰り広げられる。
かく言う僕もかつては「忙しい俺、イケてる」と考えるタイプの人間だったのであまり偉そうなことは言えないが。
しかし今では、僕はこう思っている。
「暇人最高!」
なぜならば、やりたいと思ったことをすぐに実行できるからだ。
僕は今年の4月から8月にかけて実に5ヶ月もの間、ただただ走って日本列島を縦断した。
どうしようもないほどに暇な奴である。
だが、逆に言えば“暇”だからこそ出来たことでもある。
そして、それは凄く楽しかった。
(そりゃあ辛いこともあったけれど。)
結局、何かコトをやるには“時間”が必要なのである。
当たり前のことだが、やはりそうなのである。
やりたいことをやるには暇であれ。
これが最近、僕の思うところである。
二種類の“時間”
僕は今、定職にはついていないので“時間”がたっぷりある。
ここでいう“時間”は「自分で自由に使える時間」のことだ。
さらに、この「自分で自由に使える時間」を“暇な時間”と呼ぶことにしよう。
この定義によれば、定職に就いていない僕は紛れもない“暇人”である。
さて、その一方で“時間”にはもう一種類ある。
それは「自分で自由に使えない時間」。
もっと言えば「自分の本意ではないことに割かれる時間」である。
そしてこれを(穿った定義かもしれないが)“忙しい時間”と呼ぶことにしよう。
まあ、何ということだろう。
暇人=自由に時間を使える人
忙しい人=自由に時間を使えない人
という式が今ここに成り立った。
暇人、恐るべし。
「何のために忙しいのか?」
・・・と、ここまで“忙しさ”というものを侮蔑するようなことを書いてしまったが、本意として「忙しいことは悪いこと」だと言いたいわけではない。
僕も日本縦断ランの旅に出る前は、旅の資金を貯めるために毎日バイトばかりしていて、時には「何でこんなことやってるんだろう」とか思いながら“忙しい時間”を送ってきたわけである。
ただ、あの時間と経験があったからこそ日本縦断ランを実現することができた。
それはもう尊いものだったと今は思っている。
まあ、もう少し効率的なやり方があったかもしれないが、それに関しては本筋から外れるので割愛する。
要するに、考えるべきは「あなたは今、何のために忙しいのか」というところではないだろうか。
「忙しい状態にあること」が目的になっていないか。
「スケジュール帳を埋めること」が目的になっていないか。
それはそれで良いのかもしれないが、僕にはちょっと辛い。
“暇”だからこそ充実する
先述したが、僕は今定職には就いていない。
だが、毎日のように人と会って今後の活動についていろいろと話を進めている。
有難いことに、自分のやりたいことに限りなく近い話も頂いている。
その中には、個人だからこそ出来ることというか、フットワークが軽いからこそ出来ることみたいなものも含まれている。
こうした有難いお話も“暇な時間”を作り出せたからこそ、舞い込んできたものなのかもしれない。
いまやネット界隈でかなり有名になった坂爪圭吾さんも「奇跡は余白に舞い込む」と言っている。
これには、僕も同意だ。
いばや通信 【SDJ-松島】瞬発力のある余白力のある奴が最強。ー 「奇跡は余白に舞い込む」のか?
というか、そもそも僕は今、暇なのか?忙しいのか?
何だか目の前にいろいろやる事はあるから、ある意味では忙しいのかもしれない。
しかし、「自分の好きなように時間を使えている」実感があるから、やはり忙しいとは感じない。
忙しいとはあまり感じないけれども、それなりに充実しているとは思う。
それはきっと“暇”だから。
だから、“暇”なのは悪いことじゃないと思う。
