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日本縦断ラン #DAY 141 – 2015.8.20
<141日目(8/20)>
北海道・北竜町 → 北海道・留萌市
■北竜町発

昨晩の宿のバス停があまりにも快適だったため、この日は遅くまで寝ていた。
一晩中外気に曝されて寝るのと室内で寝るのは大違いだ。

さらには、ここのバス停は3~4時間に1本しかバスが来ない上、結果的に僕の滞在中は誰も利用者がいなかった。
ということで、我が家のようにここに寛いでいたわけである。
いや、ダメだろ。
まぁ、誰も来なかったので、ね。
さて、今日はここから留萌市を目指すわけだが、その距離は35km程。
距離的にはそれほど長くないが、地図を見る限り峠などなかなか険しい道が多いようだ。

セイコーマートで食料、水分を調達する。
偶然居合わせたライダーの旅人と少し話した後、出発。


澄んだ青空に白い雲と青々とした田んぼがよく映えている。
昨日までの寒さとは打って変わって、強い日差しが照り付ける。
風が渇いているので不快感は少ない。

ところが、峠道に入ると天候は急変。
スコールのような雨が降り始めた。
なかなか天候が安定しない。

美葉牛峠を越えて留萌市に入ったが、市街地まではまだまだ遠い。
■留萌市

20km走ったところで一旦休憩を挟み、再び9km走って留萌市街に到着。

内陸から下ってきた留萌川(ルルモッペ)が留萌市街の中心に流れている。

国道沿いこそ店や人通り、交通量が多かったが、横道に入ると急に静かになる。
僕が留萌市街に到着したのが既に夕方だったので、程なくして街は暗くなっていく。
夜9時にもなると駅前の大通りですら閑散としていて、道行く歩行者の声が通り全体に響いた。
僕はセイコーマートで夕食を済ませ、寝床を探し始める。
留萌駅は締め切られたので、商店街の空き店舗の前にあったベンチで寝た。
今晩もよく冷える。
[141日目・走歩行距離:34km]
日本縦断ラン #DAY 142 – 2015.8.21
顔も知らない方の優しさ
北海道・留萌市 → 北海道・小平町
■留萌市発
昨晩は商店街のベンチで寝た。
午前4時半、目覚めるとバックパックの傍にお供え物が。

顔も知らない方の優しさに朝からジーン。
お礼の一言も言えなかったので置き手紙を残して商店街を後にした。

さて、留萌より先のルートはずっと日本海沿いの道を北上していくことになる。
目指すは日本最北端の町・稚内市。

稚内までは距離にして約200km。
延々と海沿いの道を走ることになる。
しかも稚内まで「市」はない。
心して行かなければ。
■オロロンライン

この留萌から稚内へと続く海沿いの道は、オロロンラインと呼ばれ、その雄大な景色は多くのライダーやチャリダーに愛されている。
そして、北海道は観光シーズン真っ盛り。
オロロンラインを走っていると数えきれないほどのライダーやチャリダーが僕を追い越していく。
中には挨拶をしてくれる人もいて、こちらも気持ちよく走ることが出来る。


空は青く澄み渡り、遠くまで良く見える。
左手には深青の日本海が広がり、右手には生き生きとした緑の丘陵が伸びている。
風が気持ち良く吹いている。
これこそ旅の前にイメージしていた北海道の風景だ。
■小平町


留萌市から10km程走って小平町市街に到着。
そこで休憩を挟んだ後、再びオロロンラインを走り始める。

最初こそ海沿いの雄大な景色に興奮していたが、やがて延々と続く同様の景色に飽きてくる。
この先うんざりするほどこの海沿いの道が続くのだろう。
なんせ200kmである。


13km走って道の駅・小平に到着。
おびら鰊番屋という別名を持つこの道の駅。
隣接する本物の番屋は、鰊(にしん)漁で栄えてきたこの地域をよく物語っている。
道の駅内も立派な造りになっていて観光客を飽きさせない。


今日はここで休むことに。

道の駅に着いたのは既に午後6時手前で、売店は閉店直前の頃であった。
ああ、今日も晩飯抜きかな。
と、思っていたところ、お店の方が親切にも差し入れをくれた。


名前は忘れたが、トマトを揚げたもの。
トマトと衣の相性は意外に良く、これが美味しい。
量は全然足りなかったが、これで夕食とした。
やがて夕日が日本海の向こうへ沈んでいく。
このオロロンラインは夕日が綺麗にみえることでも有名だ。
どこまでも続く水平線を眺めながら寝ることが出来る。
なんと贅沢なのだろう。
[142日目・走歩行距離:26km]
日本縦断ラン #DAY 143 – 2015.8.22
<143日目(8/22)>
北海道・小平町 → 北海道・羽幌町
■小平発
午前5時起床。
昨日の寝床は道の駅・小平。
今朝の目覚めは、カラスの足音。
カツンカツンと音がするものだから何かと思えば、
カラスが室内に侵入しているではないか。

終いには何度も窓ガラスに頭から突進しては跳ね返されている。
外に出たいが、窓ガラスに阻まれ大変困惑しているようだった。
すぐそこに扉があるのだが、カラスは気付かない。
少し哀れだが、こう何度も騒音を立てられては敵わない。
早いところ出発した。

今朝もよく冷える。
頬にあたる風が冷たい。
指先も上手く動かせない程だ。

■苫前町
相変わらず海沿いの道が続くオロロンラインを走っていく。
やがて、小平町の北隣、苫前町に入る。
丘陵にそびえる39基もの風車の列が伸びている。
この辺りは確かに風が強い。
沿岸に延々とのびる丘陵から日本海へ絶え間なく風が吹き下りている。
少し海岸線から離れると、起伏の激しい丘を走らなければならない。
傾斜10%近くありそうな上り坂もあり脚の力を奪っていく。
自転車の人たちも辛そうに上り坂を駆け上がっていく。

16km走り、苫前町市街に到着。
ヒグマのモニュメントがお出迎え。
この辺りは大正時代に起きた日本最大の獣害・三毛別羆事件の舞台でもある。
体長3mのヒグマがたった数日で7名もの人間を殺害した。
この事件は吉村昭氏によって小説化もされていて僕もこの旅中にその本を読んだが、実に恐ろしい。
タイトルは『羆嵐』。


程なくして、道の駅・苫前に到着。
別名「風Wとままえ」。
「風W」と書いて「ふわっと」と読ませる。
キラキラネームの名付け親も顔負けの当て字だ。

日本海を広く一望できる温泉のある苫前の道の駅。
ここで意外な人に会う。

鹿児島・指宿出身の日本一周チャリダーさん。
なんと元鹿児島県下一周駅伝ランナーだそうで。
県下一周駅伝と言えば、鹿児島の長距離ランナーであれば誰しもが走りたいと思う鹿児島の一大スポーツイベントだ。
僕もいつか走りたいものである。
陸上関係で共通の知り合いもいて話が盛り上がる。
北海道の端っこでこんな内輪話ができるとは思わなかった。

プリプリの甘えび丼を奢っていただいた。
ありがとうございます。
■羽幌町(はぼろちょう)
道の駅・苫前で休憩後、走りを再開。
7km走って羽幌町(はぼろちょう)に到着した。


こちらの道の駅の名前は「ほっと♡はぼろ」。

キラキラネームの次は、ハートマークを使いだした。
小さい町だが、遊び心があって楽しくなってくる。

元々あったホテルに道の駅がくっつけられたという感じである。
500円で温泉に入ってゆっくり身体を休めた。

今日の寝床はこちらのベンチ。
トイレの真向いなのでキャンピングカーで旅している人達によく話しかけられた。
みな気さくに話しかけてくれる。
寒くなって夜の虫も減ったので、割と快適に眠ることが出来た。
[143日目・走歩行距離:27km]
日本縦断ラン #DAY 144 – 2015.8.23
やる気になればすぐ変われる。
北海道・羽幌町 → 北海道・初山別村
■羽幌発

5時半起床。
今日も引き続きオロロンラインを北上し、隣の初山別村を目指す。


みるみる道の傍の草原が手つかずになっていく。
いよいよオロロンラインの本領発揮というところか。
■初山別村(しょさんべつむら)


18km走って初山別村(しょさんべつむら)に到着。
こじんまりとした村で人通り車通りも少ない。
海と草原が広がり開放感のある印象だ。


そこから4km歩いて到着したのが道の駅・初山別。
別名は「☆ロマン街道しょさんべつ」。
ハートマークに続いて、今度は星マーク。

その時、空から声をかけられた。
「どこから歩いてきたの?」
庭の木の整備をしていた男性だった。
「福岡からです」
と僕が答えるとそのまま話が弾み、そのまま家に招待してくれた。

須貝さんご夫婦。
とても仲の良い素敵なご夫婦で、昼食をご馳走してくれた。
それから昼の間ずっと会話を楽しむ。
オロロンライン沿いにあるご自宅の前を常に多くの旅人が通っていく。
その数があまりにも多いため、最近は旅人に声をかけることも少なかったそうだ。


さらには温泉に連れて行ってくれ、焼き肉もご馳走してくれ、自家製の新鮮野菜までたくさん頂いた。
本当に有難い。
丘から見下ろす道北の海岸線は実に壮観である。
ご主人の話は面白かった。
「田舎はやる気になればすぐ変わる」
30年前はほとんど原野であったというこの地域は現在、キャンプ場や天文台、温泉と喫茶店もある。
須貝さんはその殆ど全てに立ち上げから関わっているという。
福祉施設を運営しながら、共同経営の飲食店や喫茶店で施設利用者の雇用を生み出している。
8月初めには職員一丸となって花火大会も開催している。
「福祉で町を支える」
という言葉通り、複合的な取り組みで町を盛り上げているのだ。
「札幌市みたいな大きな街を変えようと思っても簡単には変わらない」
と須貝さんは語った。
話していて勉強になることは多々あったが、ここでは割愛させていただく。
興味のある方は「風連別学園」のホームページでその取り組みの一端を確認できる。
http://city.hokkai.or.jp/~shinsei/

そうして今日は須貝さん宅に泊めさせてもらった。
一週間野宿が続いていた上、この先もゆっくり休める場所が少なそうな状況だったので本当に助かった。
ありがとうございました。
[144日目・走歩行距離:24km]
日本縦断ラン #DAY 145 – 2015.8.24
<145日目(8/24)>
北海道・初山別村 → 北海道・天塩町
■初山別村発

昨晩は須貝さん宅で泊めさせてもらった。
今朝は再び自家製の新鮮野菜をたくさん頂いた。
何から何まで本当にありがとうございます。
この一日で健康になった気がする。

今日も引き続き、オロロンラインを北上する。
まずはお隣の遠別町を目指す。

道のすぐ傍には牧場が広がる。
牛乳パックで見たことがある景色がそこにはあった。

割とアップダウンが連続する道もある。
1km6分ちょっとのペースで余裕を持ちながら淡々と走る。
それにしてもずっと同じ景色だ。
■遠別町(えんべつちょう)
19km走って遠別町に到着。
ここで一休みしたいところだが、良い場所がない。
道中のバス停を頼りにしていたのだが、

どれもこれもボロボロな上、蜘蛛の巣が隈なく張られていてとても休めたものではない。
ようやく見つけたこちらのバス停で妥協。


蜘蛛の巣が張られてはいたが、何とか風をしのぐことは出来た。
この日も冷たい風が吹き、屋外にいては一気に体力を消耗してしまうという天候だった。
■天塩町(てしおちょう)
1時間程休憩した後、走りを再開。
さらに隣の天塩町(てしおちょう)を目指す。

何人かのチャリダーに追い越されながら1km5分40秒程のペースで走る。
昨日、布団で寝たので疲労がよくとれている。
おかげで軽快に走ることが出来た。

さらに15km走って到着した道の駅・天塩。
今日の走歩行距離は40km。
昨日のお布団様のおかげで良く走れた。

天塩では多くのチャリダーと仲良くなった。
日本一周をしている人もいれば、北海道一周をしている人もいる。
サークルでサイクリングに来ている大学生やオーストラリアからやってきた日本縦断チャリダー。
ドキュメンタリーを撮りながら自転車で旅をしている人もいた。
みな、その表情から「今」を楽しんでいるなあ、と感じる。
笑顔が絶えなかった。

夕方からは、仲良くなったチャリダーと夕日が綺麗に見える海沿いの公園へ。
太陽の隣には利尻富士もくっきりと見える。
昼間に吹いた風が雲をすっかり流してしまい、夕空はみずみずしく澄んでいた。

そして、結局この公園の遊具の遊び方が最後まで分からなかった。
[145日目・走歩行距離:40km]
日本縦断ラン #DAY 146 – 2015.8.25
ただただまっすぐ伸びるオロロンライン
北海道・天塩町 → 北海道・豊富町
■天塩町発

昨晩は海沿いの公園で野宿。
お察しの通り、凍える寒さだった。
今朝の気温は5℃。
夜明け前はもっと低かったかもしれない。
さらに浜風が常に吹いていて一晩中震えていた。
全く8月の気候とは思えない。
僕の地元の奄美大島は真冬でも10℃は切らない。
北海道の夏は、奄美の冬よりも寒い。

仲良くなったチャリダー達と今朝もお喋りして、道の駅・天塩を発つ。
まあルートはみな大体同じなので
「道中またお会いしましょう」と言って各々スタートした。

オロロンラインが相変わらず延々と眼前に伸びている。

雲一つない青空を背景に利尻富士が悠然とそびえ立つ。


風車が立ち並ぶ道で、先ほど別れたチャリダーの方々に再会。
昨日あったばかりなのに、同志のように感じる。

そして、オロロンラインはただただ真っ直ぐ伸びている。
空の青いグラデーションが神秘的である。
顔を真上に向けてみると宇宙空間さえも見えてしまいそうな気分だ。
■豊富町

天塩から稚内までは70km。
流石に1日に70kmの距離を走るのは厳しいので、途中で進路を内陸とり豊富町を目指す。

内陸も何もない。

右を見ても左を見ても何もない。
もはや何も無さ過ぎて見どころである。

たまに牛がいる。

国道に合流しても何もない。

25km地点でようやく休憩出来そうな場所を発見。
雲一つない空から降り注ぐ陽光は、朝の寒さなど全く覚えていないようだ。
ここに着く頃には、結構くたびれてしまった。

午後4時、涼しくなり始めた頃から再び走り始める。
牛の視線を集めながら北海道の内陸の道を淡々と走る。


8km走って、豊富町の街並みが見えてきた。
豊富駅は、野宿としてはこの旅史上最高の寝床のようだ。


駅とは思えないアットホーム感。
ストーブを囲むように配置された椅子に感動した。
本とマンガもたくさんある24時間解放の無人駅だ。
快適に過ごさせてもらった。
多くのチャリダーやライダーはオロロンラインを通っているので内陸の豊富町には寄らない。
なんだか穴場を見つけたようで良い気分だ。
[146日目・走歩行距離:34km]
日本縦断ラン #DAY 147 – 2015.8.26
“一日一日の積み重ね”が3600kmに達す
北海道・豊富町 → 北海道・稚内市
■豊富町発

昨晩は快適に眠ることが出来た。
翌朝7時に豊富駅を発つ。

いよいよ日本最北端の町・稚内市まで残り39km。
これまで3600km走ってきた中の39kmと考えると短いかもしれないが、実際はフルマラソンに近い距離である。
30kmも一日単位でみるとやはり長いのだ。
それどころか、場合によっては1kmという距離ですらとんでも長く辛く感じることさえある。
ただ、こうやって毎日
「今日は何km走ろう」
と地図を見て計画し、そして走る。
その積み重ねがようやく3600kmに達したのだと考えると感慨深い。

と、哲学的なことを言ってみたが、目の前には何もない。
何もないから哲学的なことを考える。

途中から歩行者・自転車用の副道が現れる。
・・・が、何もない。

18km走ってようやく稚内市に突入。

したものの、見渡す限り牛乳パックの風景だ。

そろそろ一旦休憩を挟みたいところだが、目の前にはこのような道が延々と続くばかり。
休めそうなところが全くない。
1時間半そのまま歩き続ける。
脚は既にガチガチに固まっている。

もういいや。
歩行者誰もいないし道端に座ってしまえ。
恥も何もない。
そこに1時間程座り込んでいたが、歩道は人っ子一人通らなかったので多分誰にも迷惑はかけていない。
車の中の人からは変な目で見られたが。
■稚内市
ランを再開し、10km走って稚内市街に到着。


ついに日本最北端の町だ。
標識のロシア語表記がさらにその事実に現実味を与える。
今日は稚内市街で休み、明日日本最北端地点・宗谷岬まで走る。

夕方になり澄んだ空に希薄な雲が流れる。
北海の風を肌に感じながら、この旅の終わりが近づいていることを何となく考えようとするが実感が湧かない。
無意識に旅の終わりという現実を脳が拒否しているのだろうか。

今夜は日本最北端の駅・稚内駅のベンチにて野宿。
風が穏やかだったので寒さは昨日、一昨日ほど厳しくはなかった。
[147日目・走歩行距離:41km]
日本縦断ラン #DAY 148 – 2015.8.27
旅の終わりと始まり
北海道・稚内市 → 北海道・稚内市 宗谷岬
■稚内市発

4時半起床。
さて、今日はいよいよ最終日。
日本最北端地点。
ゴールの宗谷岬まであと30kmだ。

未だに最終日の実感が湧かないままスタートする。
まあ今日も30km走らないといけないのだ。
浮かれている場合ではないといったところか。

風が強い。
とにかく風が強い。
北海に吹き荒れる突風が何度も僕の身体を揺さぶる。
重いバックパック背負いながら走っているとさらにバランスを保つのが大変だ。
目にはゴミが入り、まともに前を向いて走れない。
誠に現実は厳しい。
最後だからといって気を抜くな、目を覚ませ、と言わんばかりの突風だ。

雲の流れは早く、交通安全の旗がバタバタと音を立ててなびく。
空を舞う鳥は風に流され、華麗なバック飛行を披露する。
僕も結構真剣に走っているのに1km7分近くかかっている。

強風に喘ぎながら走っていると、道端にはエゾシカが普通に現れる。
この日だけで3頭見かけた。
予想以上に大きい。
一瞬興奮したものの、今はとにかくゴールの宗谷岬を目指す。
■最果ての地・宗谷岬

宗谷岬まであと5kmの看板。
この時ぐらいからようやくゴールの実感が湧き始め、ゴール時のことを妄想しながら一人でニヤニヤしだす。

しかし、最後の最後で何度もカーブが続きなかなか岬が見えてこない。
氷河時代に形成されたという不規則な形の宗谷丘陵。
この強風も宗谷丘陵の不規則な形が生んでいるのだろうか。

そして長い間焦らされた末、ようやく岬が見えてきた。
もうゴールまであと2km程だ。

あと200m。

そして、着いた。
福岡県・福岡市~北海道・宗谷岬
総走歩行距離:3704km
所要日数:148日(2015/4/2~2015/8/27)

日本縦断ラン、走破。
■後記

ゴール後もあまり実感が湧かなかった。
ゴールの瞬間は不思議な気持ちでいっぱいだった。
もっと達成感に満たされたゴールになるのかと思っていたが。
目の前には宗谷岬の日常があり、多くの観光客がいて、シャトルバスが行き来していた。

最北端到着証明を発行してもらった。
だが、僕の旅の記録はこの綺麗な証明書には記されていない。
僕は一種の虚無感すら感じた。

5ヶ月間バックパックに貼っていた「日本縦断RUN」の旗を外した。
この古びた布きれ。
5か月前に手作りしたこの旗こそが旅の記録を物語っている。
そして自分の脚も身体もシューズも。
過酷な局面や親切にされた経験。
様々な思い出が蘇ってくる。
ただ走っていただけの旅とは思えない。
自分一人でここまで走って来れたとも到底思えない。
多くの人に支えられてきた。
人との出会いがこの旅に最高の彩りを与えてくれた。
ありあまるほどの親切をもらった。
振り返ってみると、毎日が、全てが、輝いていた。
・・・これ以上書くと、臭くなりすぎるから止めとこう。
最後になりましたが、関わってくれたすべての方々、本当にありがとうございます。
感謝しかありません。

さて。
次はどんな面白いことをしようか。
[148日目・走歩行距離:30km]