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日本縦断ラン #DAY 91 – 2015.7.1
本能的に震え上がった。
宮城県・気仙沼市唐桑 → 岩手県・陸前高田市
■唐桑発

朝は少しゆっくりして、9時過ぎに唐桑を発つ。
外は少し雨が降っている。
今日から7月だが、まだこちらは梅雨である。

今井さんに見送られ、つなかんを出発。
やはり、唐桑御殿は何度見ても立派である。

海沿いに北上していき、岩手県・陸前高田市を目指して走る。
昨日の気仙沼~唐桑間ほど激しくはないが、そこそこ起伏のある山道が続く。
あまり無理のないペースで淡々と歩を進める。



雨が次第に激しさを増してきた。
霧が視界を覆っている。
雨中の山道を走るのは寂しいものだ。
そう感じていた折、前方に自転車を押して歩く人物を見た。

福見さん。
広島から北海道の宗谷岬まで自転車で旅しているそうだ。
まさか、こんな雨が降りしきる山中で会えるとは思わなかった。
海沿いを北上していくということで、同じコースを辿ることになる。
この後、我々はペースこそ別々であるが、同じく陸前高田へ向かう。
■岩手県・陸前高田市

宮城県を抜けると、岩手県は陸前高田市に入る。
久しぶりの越県だ。
思い返してみると、宮城県には2週間も滞在していたようだ。
雨は依然、強い。
道中、車を停めて
「乗せていくか?」
と声をかけてくれる人もいたが、お気持ちだけ頂戴して走り続ける。

やがて、陸前高田市の中心が近づいてくる。
といっても、町は見当たらない。
ほとんど全て流されてしまったからだ。


眼前に広がっているのは、やはり盛り土だらけの景色だ。
工事用の土を運ぶベルトコンベアが仰々しく建ち連なっている。

陸前高田には、奇跡の一本松がある。
震災前には約7万本の松の木があったが、その一本だけを残して全て津波に流されてしまったというものだ。
その奇跡の一本松を震災後の新たなシンボルとして、関連グッズやTシャツがたくさん売られていた。


雨はさらに激しさを増す。
雨宿りのため、休憩所に駆け込んだ。

ここで、福見さんと再び合流し一緒に昼食をとる。
お店は地元の人が営んでいて、震災当時のことも話してくれた。
「覚悟を決めた」
「本能的に震え上がった」
それらの言葉が忘れられない。
この日は雨ということもあり、無理して先に進まずにこの辺をゆっくり見ていくことにした。



こちらが旧道の駅の跡。
映画でしか見たことのないような崩壊ぶりに愕然とした。

震災前の映像では、この道の両脇には多くの飲食店やコンビニが軒を連ねていた。
それが、今ではこのガソリンスタンドくらいしか残っていない。
見上げると、そのガソリンスタンドの看板に当時の浸水高が示されている。
浸水高15m。

日が沈み始め、辺りが暗くなってきた。
雨はようやく止んだようだ。
広田湾は静まり返っている。
今日はここで休もうと考えていたが、
何故かもう少し歩きたくなった。
様々な思いが去来して、頭が混乱気味である。
内陸の方にかすかに町灯りが見える。
住民はあそこに移動したのだろうか。
3~4kmほど歩いたところで、ようやくお店がポツポツと確認できるようになった。
やはり仮設住宅などもこの付近に多く建てられている。
中心街がどこにあるのかは地図を見れば大体分かるものだが、
こと被災地に限っては地図があまりあてにならない。

今夜はこちらのスーパーが閉店した後、軒下で休んだ。
[91日目・走歩行距離:22km]
日本縦断ラン #DAY 92 – 2015.7.2
旅に出る前より贅沢
岩手県・陸前高田市 → 岩手県・一関市
■陸前高田市発

午前5時。
雨の翌日だったので、あたりは霧に包まれていた。

少しゆっくりめに準備して7時過ぎに出発する。
その頃には霧は晴れ、日が差してきた。

スーパーの店長から親切に差し入れを頂いた。
今日は30℃近くまで気温が上がるそうだ。
水分補給をしっかり、とお心遣いをしてもらって走り始めた。

今日からは進路を西にとり、すなわち太平洋側から内陸に向けて走る。
せっかくなら、内陸も日本海側も走ってみたいからだ。
■内陸へ



あたりが、内陸らしい山並みの景色になっていく。
太平洋側も山道ではあったが、リアス式海岸のクネクネとした山道ではなく、内陸はどこまでも続いていきそうな深い山道だ。
当然ながら、海から離れれば離れるほど津波の被害跡は少なくなっていく。
まるで世界が変わったようで、不思議な気分だ。

強い日差しと、延々と続く上り坂が体力を奪っていく。
15km程走ったところで、さらに上り坂が険しくなった。


まわりは深い山並みが連なっていて、その間に巨大なループ橋が架かっている。
このループ橋を伝って、一気に標高にして200m程を駆け上がる。
駆け上がるといっても既に15km山道を登ってきた脚はもうヘロヘロだった。
視線を地に落として一歩一歩踏みしめるように進んで行く。

■一関市

ようやく峠を越えて、岩手県は一関市に入った。
ここらで休憩をとる。

なんだか足の血豆が危ないことになっていたが、見なかったことにした。
(この日走り終わってからしっかり血を抜いておいた。)

再び歩き始めた時、道を走っていた車が停まった。
その運転手は車を降りると僕に話しかけてきた。
なんでも、ここから10km程先に行ったところで焼き肉店を営んでいるとのこと。
ご馳走するから是非寄って行って、とのことだった。
それまでのヘロヘロだった身体が嘘だったかのように生き返る。
「焼き肉、焼き肉」
と頭の中で唱えながら走った。
■摺沢
一関市摺沢に到着。

こちらが、焼き肉 政。
摺沢駅のすぐ向かいにある。

素材は岩手牛にこだわっている。
店長はなんと、1600頭もの牛を牧場で飼っているとか。
スケールが凄い。
柔らかいけれども確かな食感の岩手牛をたっぷり味わった。
ご馳走様でした。
なんだか旅に出る前より贅沢な食事をしている気がする。

[92日目・走歩行距離:34km]
日本縦断ラン #DAY 93 – 2015.7.3
<93日目(7/3)>
岩手県・一関市 → 岩手県・平泉町
■摺沢発

昨晩は、摺沢駅に泊まった。
電車の路線が通っているところは久しぶりだ。
宮城の女川以来になる。
この朝、早速駅で出会った人にドリンクの差し入れをもらい、幸先が良い。
岩手の人もやはり温かい。
向こうの方から話しかけてくれる頻度が高くなった。
わざわざ車を停めて声をかけてくれる人も多い。

まずは、一関市の中心地へ向かう。
今いる摺沢も一関市ではあるが、ここから20km以上走らなければならない。
岩手は面積が広いので、当然一つ一つの市町村も広いのだ。

昨日に引き続き、アップダウンの多い山道が続く。
ペースは悪くない。
上りも下りもリズムよく走れている。
ちなみに僕は、長く走る上では、走るペースよりもリズムよく走れるかどうかの方が大事だと考えている。
ペースを意識しすぎては後半崩れてしまいかねない。
ペースというのは、その時の体調やコースの起伏、気候など様々な要因があって表れる数字であるので、あまりそれに振り回され過ぎるのは良くないだろう。
その代り、脚の運び方や体重移動、腰の位置や腕ふりなど、体感的な部分でその時の自分の調子を確認するようにしている。
それらがリズムよく連動していれば、長時間気持ちよく走れる。


話を戻そう。
そんな調子で岩手の広大な土地を走り続けている。
北上川が見える。
女川から南三陸へ行く途中にもこの川を跨いだのを覚えている。
かなり長い川だ。
北上川を越えると一関市街は近い。
■一関市

一関市街地に到着。

ここのセブンイレブンで、店員さんがサンドイッチとコーヒーを奢ってくれた。
巨大コンビニチェーンの店員さんまで親切だ。
そして、ここから国道4号線に合流。
いくつもの国道が交差する地点だけに、さすがに交通量は多い。
昼前になり、かなり日差しが強くなってきた。
ここらで休憩した後、今日はもう少し北へ進み、次は平泉町を目指す。
■平泉町
小高い峠を越えると平泉町に入る。
平泉一帯の寺社群は世界遺産に認定されている。
中尊寺金色堂をはじめとした優雅な寺社群が有名だ。

平泉のセブンイレブンは黒かった。

サンクスも黒い。
平均化が原則のコンビニも平泉仕様なのである。
面白い。

ここで話しかけてくれたのは千葉さん。
平泉が地元の千葉さんは、この後ずっと平泉のコアな部分を案内してくれた。


こちらは
達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂。
西暦801年、坂上田村麻呂が蝦夷を征伐した折、毘沙門天を祀ったものである。
切り立った巨大な岩に同化するように建てられているこのお堂。
僕はこれを一目見て、もののけ姫に出てくるアシタカの里を思い出した。
実は、アシタカの一族は蝦夷(えみし)である。
古来より東北の地で生活をしてきた一族である。
不意にこういうものに出会うと感動する。

さらに、30m以上もある岩壁には、巨大な顔が彫られている。
前九年後三年の役の後、戦死者の霊を供養するために源義家が彫ったものとされる。
本来は全身像であったらしいが、明治時代、地震によって胸から下が崩落してしまったという。

その後、千葉さんはさらに奥地の秘湯ともいえる温泉に連れて行ってくれた。
周りに明かりはほとんどなく、日本で最も星が良く見えるのだとか。
生憎この日は若干雲が残っていて、満点の星空とはいかなかった。

その後、盛岡冷麺を食べる。
岩手では、冷麺は焼き肉とセットで食べるそうだ。
いろいろ勉強になる。
その後、夜遅くまで語って平泉駅で別れた。
人生哲学的な部分でマインドが似ていて、話していて楽しかった。
ありがとうございました。
[93日目・走歩行距離:28km]
日本縦断ラン #DAY 94 – 2015.7.4
旅とは意外と地味なものだ。
岩手県・平泉町 → 岩手県・奥州市
■平泉散策

昨晩は平泉駅で休んだ。
今日は土曜日。
週末の世界遺産にも関わらず、それほど人は多くない。
空は少し雲がかっていて、雨が降りそうな雰囲気である。

昨日はどちらかというと平泉のコアな部分を回ったので、今日はメジャーどころの中尊寺金色堂に寄る。





小高い山の中に、不動堂や毘沙門堂、辯天堂など多くのお堂が静かに建っている。
まだ朝早いとは言え、観光客らしき人がほとんど見受けられなかったのが気になった。
世界遺産は数あれど、人の集まり方には差が出るようだ。
■奥州市水沢

中尊寺を散策した後、
平泉から16km程走って奥州市の水沢へ向かう。
奥州市もまた広い。
水沢はその中でも都市部にあたる。
詳しく言述したいところだが、この時、携帯の充電が切れていたので写真がない。
やはり物事を思い出すのに写真はかなり役に立っていたようだ。
いざその写真がないと、細かいところまで思い出せない。
以下、言い訳。
旅とは意外と地味なものだ。
そう、すぐ忘れてしまうほどに。
厳密に言えば、常にドラマチックなことや波乱が起こるわけではない。
ごく普通の何でもない時間の方が圧倒的に多い。
旅行ガイドブックでは綺麗な絶景写真や見所ばかりをチョイスするものだし、旅人の経験談は武勇伝的でスリリングなものである。
だが、それはあくまでも旅の一側面でしかないということをここに書いておこう。
結局、“旅”という素材から何を得るかは人それぞれなわけである。
ネタがないことをいいことに、御託が過ぎた。
そもそもブログ更新を溜めずにいれば良かっただけの話かもしれない。
ニーチェが言うところでは、
人は自分が信じたいことを主張するためには、どんな屁理屈でも言うらしい。
ああ、あまりに人間的。
この日は久しぶりにネットカフェに泊まった。
[94日目・走歩行距離:21km]
日本縦断ラン #DAY 95 – 2015.7.5
ないものねだり
岩手県・奥州市 → 岩手県・花巻市
■奥州市発

午前中はブログ記事の編集等に時間を割く。
相変わらず、この類の作業はあっという間に時間を食っていく。

11時に出発し、外はもう陽光が照り付けている。
気温では27~28℃くらいだろうか。
道は平坦である。
東北を縦に真っ直ぐ伸びているこの道を行く限りは、それほど険しい山道に入ることはないだろう。
最近は無理して距離を伸ばすことはしていない。
余裕を持って走っているので、身体は割とフレッシュな状態をキープしている。
少なくとも疲労困憊、脚ボロボロの状態で走り始めることはほとんどない。
この日も1km5分半のペースで淡々と走れた。
■金ヶ崎町~北上市



金ヶ崎町に入る。
胆沢城跡、阿弖流為の里を横目に走り進んでいく。
ルートは単純に北へ、北へ。

ほどなくして、北上市に入る。
言うまでもなく、北上川に由来する地名だ。
一関、奥州と同様、大きい街である。
特に、交通量が多い。
車道が広く直線が続くので、車のスピードが速い。
だが、歩道にも十分なスペースがあるので、ランナーとしては特に問題はない。
また、横断歩道を渡る際には、車が道を譲ってくれることが多い。
むしろランナーに優しい道と言ってよいだろう。
とりあえず、この北上で昼食と休憩をとる。
■花巻市

17時、日が西へ沈みかけた頃に走り始める。
相変わらず、脚は軽快に動いてくれる。
走りと休憩のリズムが上手く掴めてきた感じがする。
もっともこれは短い間隔で休憩できる場所があるからであるのだが。
深い山道に入ってしまうと休憩できる場所も簡単には見つからないので、そう上手くはいかない。
それに比べると、やはり規則的な活動の方がラクである。
毎日6時に起きて10km走り、19時から15km走る・・・という風に。
けれども、そんなルーティンワークを続けていると人は「つまらない」と言い出す。
人間とは無いものねだりの生き物なのだと、つくづく思う。

やがて花巻市に到着。
夕食をとると、あたりはもう暗くなっていたので早めに休むことにした。
岩手は土地が広いので、お店一つ一つにおける駐車場が異常に広い。
そのため、寝る場所は見つけやすい。
今晩はしばらく使われていないであろうよく軋むベンチで休んだ。
[95日目・走歩行距離:28km]
日本縦断ラン #DAY 96 – 2015.7.6
<96日目(7/6)>
岩手県・花巻市 → 岩手県・紫波町
■花巻市発

朝は少しゆっくり過ごし、午前7時半、花巻市を発つ。
引き続き北上し続け、岩手県の県庁所在地・盛岡市を目指す。

花巻空港がすぐそばにあることもあって、地形は引き続き、平らである。
さらには直線道路なので走りやすい。

若干殺風景ではあるが、広々とした田園風景の中を淡々と走るのは嫌いではない。

道中見かけた名木・逆ひば。
木をまじまじと見ることなどほとんどないが、この木は明らかに存在感が違った。
特に仰々しい観光案内があるわけでもなく、あくまで自然にそこにあった。
一種の妖艶さすらこの木にはある。
・・・と感じるのは、走り過ぎたせいだろうか。
■紫波町

花巻と盛岡の中間に位置する紫波町に到着。
ここまでで18km走った。
今日は発汗が激しい。
汗の水分が飛び、塩の結晶が腕や脚、首筋に浮かび上がっている。
人間の身体はよく出来たものだ。

紫波町は、交通量が少ないところでも道が広く綺麗に整備されている。
岩手の県庁所在地・盛岡市が近く、人はそれなりに多いようだが、騒がしくなくて落ち着く。

この後、ユニバースというスーパーでひたすらブログ記事を書いたり読書したりして過ごす。
休憩後、盛岡まで走る予定だったが、本に読みふけってしまい予定変更。
盛岡へは明日行こう。
[96日目・走歩行距離:19km]
日本縦断ラン #DAY 97 – 2015.7.7
能ある鷹は爪隠す
岩手県・紫波町 → 岩手県・盛岡市
■紫波町発

午前7時に紫波町を発つ。
7時にもなると既に陽の光は照り付けている。
こういう時に、暑さに強い身体は頼りになる。
1km5分半~6分のペースで淡々と走る。
ここのところ一日の走歩行距離が20km程度の日が多いが、
旅のはじめは連日50km走っていたことを考えるとかなりペースは落ちた。
だが、このくらいの距離に抑えることで、比較的フレッシュな状態の身体で一回一回のランに取り組める。
それはそれで良い気がする。
怪我も減った。
■矢巾町~盛岡市

間もなく、矢巾町に入る。
矢巾と書いて“やはば”と読む。
ここらでは特に止まることなく、周りの田園風景を眺めながら走り続ける。


見事なまでに快晴だ。
東北の空は本当によく澄んでいる。
気温が高く日差しが強いが、空気がカラッと乾いているので、それほど辛くはない。



さらに進んで行くと、
岩手の県庁所在地・盛岡市へ。
さすがに大きな街になってきた。
中心街からは4km程手前のところで脚を止めて散策する。


街は雄大な山々に囲まれていて、街の中をいくつもの河川が流れている。
その河川の一つに北上川があり、僕にとってはこれで何度目かの再会である。

早速声をかけてくれたおじちゃんから差し入れと激励をもらう。
盛岡市に入ってまだわずかな時間しか経っていないのに、声をかけてくれたのは既に3人。
きっとここも良い街だ。
■焼き肉チャレンジャー


ブログを書いたりして昼の時間を過ごした後、盛岡のさらに中心へ向かう。
向かったのは、
“焼き肉 チャレンジャー”。

一関でお世話になった“焼き肉 政”さんのご紹介で訪ねた。
実は、この“焼き肉 チャレンジャー”。
ボクシングの元世界王者・佐藤洋太さんが営んでいる焼き肉店なのである。

物腰柔らかく穏やかな方で、とても世界を相手に殴り合った人とは思えない。
能ある鷹は爪隠す、とでも言おうか。
その後、この店の常連さんとも絡ませていただいた。
閉店後は店長がギターを弾いてくれたり、語り合ったりして楽しい時間を過ごした。
それからなんとそのまま常連さん、小保内さんが今夜泊めてくれることに。
全く予想外な展開が続くものだ。
その日の宿が決まっていないからこそ起こり得ることでもあろう。
登山家で地層にも詳しい小保内さんからは、お守りに鉄鉱石と水晶を頂いた。

地層、鉱石。
こうして様々な人と会うことで、自分の知らない領域に触れられるのも旅の楽しみの一つかなと思う。
[97日目・走歩行距離:19km]
日本縦断ラン #DAY 98 – 2015.7.8
<98日目(7/8)>
岩手県・盛岡市
■盛岡市散策

今日は休養日と位置付け、盛岡市を散策することに。
朝は小保内さん宅でゆっくりさせていただいた。


まず足を運んだのは盛岡城。
またの名を不来方(こずかた)城という。
天守閣は明治時代に焼失し、現在は石垣しか残っていない。


盛岡市は、岩手県最大の都市でありながら、城下町としての昔ながらの雰囲気も残している。
街を横切るいくつもの川がさらにその情緒を際立たせている。


一通り散策してから、ブログを書いたり読書をしたりして過ごす。
ところで、脚の状態は悪くないのだが、今日もボチボチ歩いたので踵に疲労が溜まっているようだ。
まだ痛みは酷くないが、気を付けて旅を続けよう。
今夜はネットカフェに泊まった。
[98日目・走歩行距離:5km]
日本縦断ラン #DAY 99 – 2015.7.9
走っていると、あらゆることがどうでもよくなる。
岩手県・盛岡市 → 岩手県・雫石町
■盛岡市

またこれだ。
率直に言うと、走るスイッチが入らない。
踵に多少の疲労はあるが、今回は精神的な部分が大きいだろう。
まあ、嫌々走ってもあまり良い気はしないので、午前中はゆっくり読書などして過ごす。
こういう時にカフェで何時間も粘るのは、あまり自慢できないが僕の得意分野だ。

■盛岡市発

16時、日差しの強さがピークを過ぎたところで盛岡を出発する。
軽く走って、隣町くらいには行っておこう。
あまりにも長時間じっとしていたので、脳をリフレッシュさせた方が良い。
動かないと、なぜか悲観的なことばかり考えてしまう。
多分、僕は走っていないと精神を病める性質なのだろう。

西陽を浴びながら走る。
身体はよく動いている。
ずっと上り坂にも関わらず、1km6分を切るペースで走れている。
やはり走るとスッキリする。
さっきまで悲観的なことばかり考えていたのが嘘のようだ。
前向きになるとか、楽観的になる、というよりは、
「いろいろなことがどうでもよくなる」
と言った方が相応しい気がする。
■雫石町


しばらく走って峠を越える。
すると、雫石町に入る。
盛岡の西に位置しており、岩手と秋田の県境である。
田園の緑が眩しいほどに映えている。
ここまで来ると、都会の喧騒からはだいぶ逃れた気がする。
夕日を眺めながらのランも悪くない。

岩手と秋田を分かつ山々に太陽が沈んでいくのをその目で追いながら淡々と走る。
朝日の爽やかさとはまた違った、哀愁のある景色にため息がこぼれんばかりだ。


今晩は雫石駅近くのローカルスーパー・JOISで夕食を済ませ休むことに。
今日は星が良く見える。
夜闇に目が慣れてくると、さらに多くの星が見えてくる。
もう山と空の境界すら認められない。
途方もなく広い宇宙を想像するのに埒があかないことに気付いて、そして眠った。
[99日目・走歩行距離:15km]
日本縦断ラン #DAY 100 – 2015.7.10
九州民「秋田に走って行ってきた」
岩手県・雫石町 → 秋田県・仙北市田沢湖
■雫石町発

午前7時に雫石町を発つ。
早朝こそ周りは霧に覆われていたが、すぐに空は快晴となった。
昼と夜で気温差が激しいようだ。


相変わらず、田園が眩しいほど青々としている。
すっかり夏の風景だ。


次第に峠道に入り、ゆるやかな上り坂が続く。
時々姿を見せる川が景色に変化をもたらしてくれる。

その間ずっと、陽光はジリジリと照り付ける。
気温は30℃まで上がったらしい。
■道の駅・雫石あねっこ
10km程走ったところで到着したのは、
道の駅・雫石あねっこ。


山の中にあるが、かなり広くて設備が整っている。
しばらく、ここで外の酷暑から逃れることにした。

室内の休憩スペースはかなり立派で、畳まで用意されていた。
僕はそこに身体を横たえて休んだ。
週末の観光客が増えてきたが、構わず寝る。
これくらいのことでは恥ずかしいと思わないようになった。
それが良いか悪いかは分からないが。
■秋田県へ

16時頃、道の駅を発つ。
秋田県は近い。
今走っているのは、秋田駒ヶ岳の山腹を通る仙岩峠である。
この仙岩峠を越えると秋田県に入る。

かなり上りの傾斜が急になってきた。


さらに、これを見てほしい。
歩道があることにはあるのだが、雑草がそれを侵食し完全に道を塞いでしまっている。
それは、しばらく歩行者がこの道を通っていないことを物語っている。


峠を上りきると、今度はトンネルがいくつも続く。
本当に山が多い地域なのだ。
トンネルは2500mに及ぶものもあったが、このくらいの長さにはもう慣れている。

さて、連続するトンネルを走っているうちに、秋田県に突入したようだ。
九州から来た身としては、秋田はいわゆる秘境。
もちろん初上陸である。
これでやっと、
「ああ、秋田?この間走って行ってきたよ。」
と、堂々と言えるようになったわけである。



トンネルを抜けると、雄大な渓谷がいくつも続く。
深い谷に架かる橋をいくつも越えて走るのだが、その一つがこの橋。

「熊見橋」
明らかに熊が出没しますよ、という名前が付けられているではないか。
おっかない。

そんなこんなで峠を下りきった。
こちらは仙北市・田沢湖。
やはり秋田も土地が広く、仙北市だけでもかなりの面積がある。
車は今までほとんど見たことのなかった秋田ナンバーだらけだ。
とりあえず、人里に下りてきたことに安心する。

夕食はこちらのスーパーで済ませた。
今時、19時に閉まるスーパーは珍しい。

さて休もうか、という時に驚愕した。
外が寒すぎる。
およそ7月のそれとは思えない。
縮こまってみたが、それでも寒い。
ようやく眠れたかと思いきや、夜中に寒さで目が覚める。
さすが秋田。
7月でも野宿は簡単では無いようだ。
今回の旅を始めて100回目の夜は、秋田の寒さに凍えながら過ごした。

[100日目・走歩行距離:28km]