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日本縦断ラン #DAY 71 – 2015.6.11
温泉と城下町でゆったりした時間を過ごす。
山形県・南陽市 → 山形県・上山市
■南陽市発

午前3時半。
寒さで起きる。
外はもう明るくなり始めている。
九州と比べると、明るくなるのがやはり早い。
とか、思うが
とにかく寒い。
ほとんど休めていないが、とにかく歩いて身体を温めたいところだ。
寝袋を身体に巻きつけながら歩き始める。

吐く息が白い。
やはり、気温は5℃を切っている気がする。
田んぼに張られた水が、一層あたりの空気を冷やしている。
建物はほとんど見えない。
たまに民家がポツポツと姿を見せるだけだ。
時刻はまだ朝4時半。
さすがにこんなに早朝では車も少ない。
しかし、早朝ランをしているランナーは見かけた。
走り方とそのスピードからして、かなりの上級者と見える。
実力のある人は、やはり人知れず努力しているものだ。
華々しい実績などは、氷山の一角に過ぎない。
■クマ鈴、初装備

1時間半ほど歩いたところで、小さい脇道に入る。
次の目的地・山形市方面へ行くには、ここで東へ進路をとり、大道へ合流する必要がある。
上の写真で言うと、右の小道である。


これがまた、クマの出そうな雑木林だ。
そこで、こいつの出番である。

クマ鈴。
クマに対して、人間がいることを知らせることがまず大事なんだとか。
ただ、人間がいるからといってクマが逃げるとは限らないので注意。
■上山市

かなりアップダウンのある道だったが、距離にすると6km程と短かった。
人里が見えてきて一安心する。
クマには遭わなかった。
クマ、クマばっかり言っているが、実は少し見てみたい。
遠くからなら。

上山(かみのやま)市に入る。
国道に合流した途端、交通量が一気に増えた。
郊外から、市街地へ車の列が流れていく。
そういえば、まだ朝の8時か。
やっと通勤の時間帯である。
午前中とは、意外と長いものだ。


しばらく、走っていくと上山市街地に入る。
静かな城下町だ。
雰囲気は静かであるが、
子供たちや高校生が多く見えて、明るい印象だ。
ここの子供たちも屈託のない笑顔で、見知らぬ僕に挨拶をしてくれる。


そして、この町もやはり温泉街である。
お決まりの足湯タイム。
今日は早朝から動きっぱなしだったので、眠い。


上山城一帯の雰囲気も素晴らしい。
綺麗に整備された月岡公園は、多種の植物や池があって城の周りを囲んでいる。
また、城のそばには、武家屋敷が往時の趣を残したまま軒を連ねている。
公園からは、上山市街地が一望できる。
丘に吹く風は少し肌寒かったが、陽が差せば暖かく、心地良い初夏の陽気だ。
昨晩あまり休めなかったので、思わずここでしばしの睡眠をとった。

午後は、近くのショッピングモールにて、
ブログを書いたり読書をしたりして過ごす。
ここにも、スーパーのヨークベニマルがある。
もちろん目的は、閉店間際の値下げ惣菜だ。
この日の夜はそれほど冷えなかった。
[71日目・走歩行距離:24km]
日本縦断ラン #DAY 72 – 2015.6.12
どれだけ豊かな時間を過ごせるか
山形県・上山市 → 山形県・山形市
■上山市発


5時起床。
この日は先に朝食をとり、読書などをしてから、上山市を出発。
空模様は曇天。
少しだけ肌寒い。

右手に蔵王山を眺めながら、北上し山形市を目指して走る。
雨が降ってきた。
それほど強い雨ではない。
■山形市

山形市街地に入る。
かなり大きい街だ。
少なくとも、僕の目にはそう見える。
現代的なビル群を見るのは久しぶりだ。
栃木県・宇都宮市以来だろうか。
雨が降り続いている。
今日は、街をゆっくり見て回るのは得策ではなさそうだ。
■ゲストハウス・ミンタロハット

山形市街にあるゲストハウスを訪ねる。
名は、「ミンタロハット」。
民家風のゲストハウスだ。
僕が訪ねた時には、地元のマダム達が英会話レッスン中。
とてもフレンドリーに歓迎してくれた。
そして、ここにきて初めて山形のさくらんぼをいただく。
今が旬。

ところで、
山形の人たちは、当たり前のように旅人を輪に入れてくれるような気がする。
江戸時代の山形藩は、領主が何度も変わった歴史があるそうで、
そのときに外からの文化を柔軟に取り入れる風土が育ったのかもしれない。
そして、個人的に山形弁ののんびりした話し方が好きだ。
僕も喋るのが遅いので、なんだか勝手に落ち着くのである。

用意してもらったのは、シンプルで落ち着いた個室。
適度な距離感もあって良い。
布団に横たわった途端、疲労感がどっと身を覆う。
最近、野宿続きでよく休めていなかったのだろう。
この日の午後は、ずっと寝てしまっていた。
■ゆんたく

ミンタロでは、毎晩19時半頃から、
ゆんたくが始まるらしい。
ゆんたくは、沖縄の言葉で、
みんなで集まってワイワイお話するとかいうそんな感じだ。

今日もいろんな人達との出逢いがあった。
今宵も楽しい時間を過ごすことが出来た。
時間だけは皆に平等だ。
結局最後に残るのは、どれだけ豊かな時間を過ごしたか、だと思う。
シンプルに、生きたい。
[72日目・走歩行距離:15km]
日本縦断ラン #DAY 73 – 2015.6.13
寝るだけではない宿の魅力
山形県・山形市
■山形市にて連泊
山形市の宿、ミンタロハットの居心地が良いので連泊。
スケジュール的にも急いでいない。
昨晩は、深夜2時半までゆんたくが続き、就寝したのは深夜3時。
だが、昨日の昼間にしっかり休んだこともあって、
今朝は5時半起床。
軽く汗を流しに、山形城の周りを走って来よう。
■霞城公園・山形城



山形城の周りには、博物館や美術館、野球場もあり、
そこら一帯が市民の憩いの場となっている。
久しぶりに、バックパックの重みから解放されて走る。
ペースはゆっくりだが、やはり走りの感覚が全く違う。



緑に囲まれて、芝や砂利道などの不整地を走る。
これが良いリラックスになる。
公園内には、ラジオ体操をしている年配の人々がいる。
ジョギングや散歩している人々、少年野球チームをポツポツ見えてきた。
穏やかな土曜日の朝だ。
40分程走り、軽く汗を流したところで宿に戻った。
■ミンタロ英会話レッスン
宿に戻って朝食をとり、他のゲスト達と話をしたりして過ごす。
午前10時から、昨日と同様に英会話レッスンが始まる。
興味があったので、僕も同席させてもらった。
英会話からどんどん話が盛り上がり、終いにはほとんど日本語でお喋り。
まあ楽しかったから良いのである。
地元の方でなければ知らないような歴史話も沢山聞けた。
歴史というものは、案外、口伝によるところが重要なのかもしれない。
■ゆんたく~第二夜
そして、今夜もゆんたく。
登山をしに来た方たちや、越県した高校生の息子に会いに来た福島のご夫婦。
素敵な民謡を披露してくれた方。
オーナーとそのお仲間の方たちの合唱も聴けた。
常連さんから、初めての方まで、賑やかなゆんたくの時間が今宵も流れる。
宿代にお金をかけたくないのであれば、毎日野宿していれば良い。
寝ることだけが目的であれば、それが一番安上がりである。
それでも僕がゲストハウスに足を運ぶのは、
寝るだけではない別の魅力があるからだ。
[73日目・走歩行距離:6km]
日本縦断ラン #DAY 74 – 2015.6.14
山形県・山形市 → 山形県・東根市
■山形市発
2日間お世話になったミンタロを発つ。
人と話して、ぐっすり眠って、体力・気力共にしっかり充電できた。
素敵な時間をありがとうございます。
山形市を出た後はぐるっと右にカーブを描いきながら進み、宮城県の白石市を目指す。
そこで友人と会う約束があるのだ。
白石市は、方角的には山形市より東南に位置するため、南下することになる。
この日本縦断ラン、全然最短ルートを行っていない。
この迷走感が良い。
いっそのこと日本迷走ランでも良い。
■天童市


10kmちょっと走って辿り着いたのは、
山形県・天童市。
将棋と温泉が有名な町だ。
巨大な王将の駒を掲げているお店が何度も目に入る。
歩道のタイルが将棋盤になっているところもある。

日曜日ということで、道の駅・天童温泉は家族連れでごった返していた。
何やら公園でイベントもやっているようだ。
この先の長い山道に入ると、こういう人影も見かけなくなるのだろう。
■東根市

道なりに進んでいく。
道が狭くなっていき始め、気付けば、東根市に入っていた。
さくらんぼ園が両脇に何度もその姿を現す。


その奥には、山形県と宮城県を隔てる奥羽山脈が見える。
その均整のとれていない山の姿は荘厳だ。
僕では想像もつかないような長い年月をかけて形成された姿なのだろう。
緩い上り坂をしばらく走っていくと、山がその姿を次第に大きくしてきた。
この道は国道48号線で、山形市と仙台市を結んでいる。
そのため、道幅の狭い山道ではあるが、その交通量は大変多い。
もちろん、車の話だ。
歩行者は見かけることはできない。


山並みの奥へと進んでいくと、大滝というちょっとした観光スポットに辿り着く。
この先の作並温泉までは、15km程で、それまではお店も何もないという。
今夜は、ここで休むのが賢明そうだ。

夕食に串団子を一本頂く。
観光地値段なので、あまりたくさん食べれないというのが正直なところ。

それにしても、この場所、これまで野宿してきた中で一番の山奥だ。
幸い、男子トイレと女子トイレの間にベンチがあって休めそうなところがある。
ここだと夜の冷え込みもしのげるし、車通りも多いのでクマが出る確率は低そうだ。
しかし、夜でもそこそこの交通量がある道のトイレである。
人の出入りが多い。
毎回とは言わないが、頻繁に目が覚めてしまう。
とはいえ、全く人気のない暗闇の山中で寝るよりはマシだ。
そう思いながら細切れに睡眠をとる。
[74日目・走歩行距離:29km]
日本縦断ラン #DAY 75 – 2015.6.15
田舎は時に残酷
山形県・東根市 → 宮城県・川崎町
■東根市発

昨晩はほとんど眠れなかった。
トイレの前は人の出入りが多く、そのたびに目が覚めてしまう。
その結果、半分意識があって、半分寝ているような仮眠状態が一晩中続いた。
もちろん疲れは十分に抜けない。
それでも日は昇る。
午前5時半に東根市・大滝を出発する。
この先には、宮城県との県境があって、そこを越えると仙台市・作並だ。
気温は確か13℃くらいだったと思う。
吐く息が白かった。
足底の筋肉や筋が固まってしまっていて、走りがぎこちない。
それに、起伏のある山道を走っていると足取りは重い。
1km7分を超えるペースでゆっくりと走っていく。
トンネルが見えてきた。
山形県と宮城県を隔てるトンネルだ。

こちら、歩道がほとんどない。
端っこに段差があるが、まさかこの上を歩けというわけではないだろう。
幅は片足をようやく置けるほどしかない。
せっかく段差を造ったのなら、もう少しだけ幅を広くしてほしかった。
■作並・熊ヶ根
ひたすら山道を走っていく。
途中、標識に「作並まで3km」と書かれているのを見る。
走って旅をしていると、
この「作並まで3km」という言葉がエンドレスで脳内に響き続ける。
そこで、休憩するなり食事をとるなりするのがモチベーションになるからだ。
が、しかし。
予告されていた3kmを過ぎても町という町が見当たらない。
民家すらなく、温泉宿がポツポツと見えるだけだ。

そして、4km、5km、6kmと進んでいく。
温泉宿すら見当たらなくなってきた。
民家が少しだけ増えてきたが、数えるほど。
まさか、このままお店の一つも見つからないまま作並を通り過ぎてしまうのか。
睡眠不足で、早朝から何も食べず、2時間走り続けていた僕は、ここで何か食べ物を補給することを心待ちにしていた。
しかし、とうとうお店の一つも見当たらなかった。
田舎は時に残酷だ。
その分、人の優しさが沁みるのだろう。


仕方がないので、前へ進む。
右足の裏が軽く攣りかけている。
疲労と水分不足が原因だろう。
日差しが強くなってきて、意識も朦朧としてきた。
気持ちが折れそうだったが、
そこから5km程の道のりを歩いて進んでいく。


ようやく目にしたコンビニは熊ヶ根駅の前。
約30kmぶりのコンビニだ。
助かった。
取り敢えず休もう。
今日は寝不足が結構響いている。
■川崎町

熊ヶ根でしばらく睡眠をとった後、出発。

またしばらく山道が続く。
次の町・川崎町までは24kmと、なかなかの距離だ。
さらに、川崎町までの道は国道を外れた交通量の少ない山道で、こんな標識もある。

「クマ出没」
昨晩みたいに山中で野宿するのは危険だ。
途中から雲行きが怪しくなり、スコールが何度か降った。

それまで陽の光をたっぷり浴びた灼熱の地面を大粒の雨が叩く。
急激に冷やされた地面と同じように、僕の脚の筋肉の火照りも雨によっていくぶんか冷やされた。
それで身体は少し元気になった。


川崎町内まで、あと15km。
路側からじろじろとこちらを見てくるサルたちにも気にかけず前へ進んで行く。

そして、どうにかこうにか川崎町に到着。
今日は久々に50km近く進んだ。
決して大きい町ではないが、やはり人里に下りてくると安心する。

安心・・・する。
今夜は地元のスーパーの軒下で野宿だ。
[75日目・走歩行距離:47km]
日本縦断ラン #DAY 76 – 2015.6.16
凄いと言われるために旅をしているわけではない
宮城県・川崎町 → 宮城県・白石市
■川崎町発

午前5時に出発。
霧が凄い。
再び山の中に入っていくと、さらに霧が深くなる。
300m先は視界が霧に覆われている。

すぐ近くでは、聞いたこともないような鳥の鳴き声がする。

そして、
細かいアップダウンが続く山道を走っていくと、川崎町から村田町へ入る。
早朝から交通整理をしていた川崎町の町長と出会い、少し話した後、元気よく送り出され、僕は村田町へ駆けていく。
■村田町

村田町に着いた。
ここのコンビニでも思わぬ人物との出会いがあった。


仙台で奄美料理店を営んでいる方だ。
彼の母親が奄美の方だそうだ。
まさかこんな東北のはずれの町で奄美の人とお会いするとは。
仙台を通るときは、お店に寄っていくと約束して別れた。
■蔵王町


次は蔵王町。
山形県と宮城県にまたがる蔵王山は、どちらの県に所属するのかはっきりしていないらしい。
そんな蔵王山を右手に眺めながら、白石市へ向かう。

左手には、少し離れたところに東北自動車道が伸びている。
自動車道は間近にいると騒がしくて危険で仕方ないが、遠くから見てみると面白い。
あれだけ多くの車、そして人間が空間移動しているのだ。
あの道が、どこでも何でも手に入る現代の日本を支えている。
■白石市

白石市に到着。
これまで通ってきた町と比べると大都会だ。
ここで友人と会う約束なのだが、夜に合流することになっているので、
それまで白石城を軽く見学する。


白石城は伊達政宗の忠実な家臣・片倉小十郎の居城だ。
ちなみに、片倉小十郎というのは襲名である。
城は町のど真ん中に、さり気なくそびえ立っている。
観光案内所・お土産屋さんには、僕以外に誰もお客さんがいない。
せっかく立派なお城なのに少し寂しいな、と思った。
もちろん、平日の昼間ということもあるだろうが。

夜、齋藤家にお邪魔する。
福岡の旅関係のイベントで知り合った光馬とその父・修一さん。
とても仲の良い素敵な家族だ。
美味しい食事と会話を楽しんだ。
登山家であるお二人はとても逞しい印象だ。
強さをひけらかさないところが格好良い。
旅とはなんぞや。
凄いと言われるために旅をしているのではない。
それどころか、
旅をすればするほど、
自分は凄くない、小さな存在だ、と気付くのだ。
本当に強い人は、自分が弱いということをよく知っているのだと思う。
だから、そういう人たちは自分の強さをひけらかさないのだと思う。
不完全であるはずの人間が見栄を張り続けるのは滑稽だ。
[76日目・走歩行距離:33km]
日本縦断ラン #DAY 77 – 2015.6.17
3.11東北大震災の海岸線へ
宮城県・白石市 → 宮城県・角田市
■白石発

久しぶりの布団で休んだ昨晩。
早起きの習慣が体に染み付いていて、5時半には目が覚める。
それからゆっくりと齋藤さん宅で会話などしながら過ごす。

午前9時に出発。
空は雨模様。
少し疲労が溜まっているようなので、天候や体調に合わせてボチボチ進む。
次の目的地は、修一さんのご実家・山元町へ行くことにした。
東日本大震災で大きな被害を受けた場所だ。
■峠越え
白石と山元の間には、角田市という町がある。
とりあえず、そこを目指す。
白石市街を抜けると、すぐに山に囲まれた峠道になる。
割と傾斜がある。
以前から右の足底に強張りがあったが、あまり酷くはなかったので先へ。

途中から歩道がなくなるこの道。
交通量が少ないのが救いだ。
■角田市

峠を越えて、角田市街に入る。
白石市と同じくらいの大きさの町だ。
大きな国道がない分、車通りは白石よりも少ないようだ。
町の少し奥にロケット発射台が見える。
角田のシンボルのようなものになっている。

ところで、右足底の具合が良くないようだ。
10km過ぎたあたりから、力を入れる度に痛む。
多分、使い過ぎで強張っているのだろう。
もう一つ峠を越えたところに山元町はあるが、先は急がずにこの日は角田市で休むことに。
定番のヨークベニマルでブログ記事等を書きながら、閉店間際の値下げ惣菜を狙う。
[77日目・走歩行距離:22km]
日本縦断ラン #DAY 78 – 2015.6.18
3.11東北大震災の海岸線へ
宮城県・角田市 → 宮城県・亘理町
■角田市発

この日の午前中も、ブログ記事の編集に時間を割く。
昼食には、光馬にオススメされたラーメン屋・翔屋で味噌ラーメンをいただく。


少しとろみがあってコクのあるスープが美味い。
正午に出発。
足の状態が良くないので、今日はウォーキングで足の裏の強張りをほぐしつつ進むことにする。


阿武隈川に架かっている橋を越えると、再び周りの景色は田んぼと山並みばかりになる。
橋のそばの運動公園では、中学生の陸上競技大会が行われていた。
この時期であれば、中学総体の県大会出場を懸けた地区予選大会だろうか。


思い返せばもう10年前のことであるが、
僕も中学1年生の時に、この中学総体の地区予選で入賞して以来、走ることにのめり込んでいった。
あの時は、生活の全てが「中学総体」という大会を中心に回っていた気がする。
狭い世界ではあったが、あの時はあの時で楽しかったなあ、と思い出しながら
地元の中学生が走る姿を眺めていた。
それに、様々な体格の中学生たちは走るフォームも様々だ。
その中には既に綺麗なフォームで走る子もいれば、荒削りな走り方をする子もいる。
「あそこをこうすればいいのに」とか
「あの体格に合った走り方だな」とか、いろいろ思う。
この年になって中学生の走りを見るのも勉強になるのだ。
■山へ迷い込む
道なりに進むと、迂回を指示する看板が現れた。

なんでも、この先のトンネルの歩道が狭いようである。
指示通りに迂回する。
道中には、励ましのような言葉も。

「赤信号を待つのも人生
そんなに急いでどこに逝くの」
その通りだ。
ただ、最後の「逝く」という漢字に妙な深さを感じた。
しかし、
この迂回時かなり複雑なのである。


いつのまにか完全に山の中に入ってしまった。
さ迷いかけていたところ、地元の林業のおじちゃんたちと幸運にも出会う。
この道は、大通りには出ないとのこと。
何と。
あの看板はトラップだったのか。
・・・ということは、もちろんないのだが、何しろ地図が曖昧すぎて分からないのだ。
地図はしっかりしたものを信用しなければ。
教訓である。
■山元町・亘理町

峠を越え、山元町が見えた。
いわゆる“被災地”である。
あれから4年以上経ったが、僕にとってはこれが初めての被災地訪問となる。
ここに来るまで白石市や角田市などで出会った人達は、山元町に関して口を揃えてこう言った。
「あそこは何も無いよ。」
その時、僕は意味が解せなかった。
「何も無い」とはどういうことだ?
何が無いというのだ?
そして、僕は実際に山元の町を目の前にした。

なるほど、確かにだだっ広い平地が見渡す限りに続いている。
視界を遮るような高い建物もない。
その奥には久しぶりに拝む海・太平洋が見える。
だが、もちろん何も無いわけではなかった。
家がある。道路がある。田んぼがある。車が通っている。人がいる。
特に、再整備された国道には絶え間なく車が勢いよく走っていて、交通量は下手な都会のそれより多いだろう。




けれど、何か変なのだ。
そう、全てが新しいのである。
家も道路も田んぼもビニールハウスも。
田舎でよく見かけるボロボロの空き屋や、廃れたお店の看板など、そういった古いものが見当たらないのだ。
そこには、人間が長い時間をかけて手入れしてきた歴史というものが感じられなかった。
僕は被災前のこの地を知らない。
もしかしたら、地元の人たちが言っていた
「あそこは何も無いよ。」
という言葉は、
本来そこにあるべき景色が何も無いという意味なのかもしれない。
僕は、どこまでも続いていきそうなその平らな田園をしばらく歩きながら眺めていた。
よく見ると、ところどころに瓦礫のようなものがある。





無残なまでに壊れたバスや家屋。
途切れてしまった線路。
雑草が這う軽トラック。
これでも負の遺産はだいぶ減ったそうだ。
この広大な平地に太平洋から弱い浜風が吹いている。
その風は、特に何の変わり映えのない至って普通のものだ。
4年前にこの地にあったものを全て流していった海は、今とても穏やかである。
[78日目・走歩行距離:19km]
日本縦断ラン #DAY 79 – 2015.6.19
いざ、東北の都へ
宮城県・亘理町 → 宮城県・仙台市
■亘理町

昨日は、山元町から北上して歩き、亘理町というところに入ったところで休んだ。


休んだのは、浜吉田駅。
この駅から南は、震災の影響で運休中である。
実質、 終点駅のようなもので、駅前で迎えの車を待つ人々が多い。
ここからさらに車で遠くまで移動するのだろうか。

近くのコンビニが、20時30分閉店と書いてあるのに、なぜか19時30分に閉まる。
その閉店後のコンビニの前で睡眠をとった。
深夜には雨が降って何度か目が覚めたが、起床した4時半には雨が上がっていた。
海沿い特有の風冷えを感じる。

■岩沼市


しばらくは、田園地帯を歩いていく。
土木関係の大型トラックがよく通る。
たまに見かけるコンビニの駐車場にも土木のトラックばかり。
店の中も土木関係者らしき人達で溢れかえっている。
カップ麺など、保存の効く食料が多く陳列されており、逆にスイーツが売られている陳列棚のスペースは小さい。
途中、スコールが降った際、
「お、今日休みになるといいなー。」
と、土木のおじさんたちの会話が聞こえる。



阿武隈川が太平洋へと流れ出る地点に差し掛かったところで、岩沼市に入る。
今日は昨日とは一変して、強い風が全身を叩き付けるように吹いている。
■海沿いを歩く




まさに復興工事の真っ最中というような海沿いを通って行く。
まだ地図には載っていないような道なのかもしれない。

海沿いに堤防を築かれているので、海そのものは見えない。


さすがにここまで来ると、周りの雑草はぼうぼうで荒涼とした雰囲気だ。
鳥たちは居心地が良さそうにのんびりと空を舞っている。
あまり走る気にはなれなかった。
まだ、足底が痛かったからというのもあったが、いろんなものに目を奪われてしまったからである。
■名取市~仙台市

早朝から3時間以上歩いたところのコンビニで休憩をとる。
ここまで、何度も土木のお兄さんやおじちゃんたちに声をかけてもらった。
どこもかしこも工事ばかりしていて本当に忙しそうだ。
正午前に走り慢性的な疲労出す。
ペースは1km6分をちょっと切るくらい。
久しぶりに身体が軽い。
足の状態も悪くない。
足底の痛みは、恐らくによるものだろう。
とはいえ、まだ強張りは酷い。
どこかで完全休養をとっても良いかもしれない。

しばらく走ると名取市に入る。
仙台空港を前に左にカーブし、国道4号線に合流する。

国道に合流したあとの景色はもう大都会のそれである。
相変わらずの凄まじい交通量だ。
その国道をさらにずっと行くといよいよ仙台市だ。
■きっちん奄美


雨が降る中、走り続けて辿り着いたのは、
仙台市は長町駅。
この駅前に僕の地元・奄美の料理店がある。
名は「きっちん奄美」。


そう、村田町のコンビニで出会った方のお店だ。
今夜、オーナーと晴れて再会したのであった。


お店は静かで洒落た雰囲気。
本場の島の居酒屋とはイメージがいささか違うかもしれない。


まあこの静かな感じが僕は好きだ。
ちなみに、ここ仙台では奄美料理はマイナー過ぎて、提供するのはほとんど沖縄料理だとか。
[79日目・走歩行距離:31km]
日本縦断ラン #DAY 80 – 2015.6.20
温かく、賑やかな宿
宮城県・仙台市 (福島・南相馬市)
■仙台市長町発

昨晩は、市内にあるスーパーの軒下で野宿。
そして今朝は、マックに籠り、ブログ記事を書いたりしていた。

今日はとりあえず、仙台市のゲストハウスを目指して走る。
山形市で泊まったミンタロハットのオーナーさんにオススメされた宿である。
軽い雨が降ったりしたが、温暖な気候だった。
じんわりと汗を流して走っていく。
■梅鉢


ゲストハウス・梅鉢に到着。
部屋は満室であったが、ソファーで寝かせてもらえることに。
有難うございます。



この宿もとてもアットホームな雰囲気で居心地が良い。
手作り感溢れる部屋の造りに温かみを感じる。
何よりオーナーさんをはじめ、集まる人達が温かい。
いつものゲストハウスのように夜は様々な人を交えて、こじんまりとした宴会が行われる。

そこで出会ったアメリカ人のマイケル(左端)。
堪能な日本語で話す彼は日本に来て13年。
東日本大震災以降、被災地でボランティア活動を続けているそうだ。
そして、明日は福島の南相馬市でボランティアをするらしく、そのメンバーを集めているという。
僕を含めた数人が参加することに。
被災地を見ながら、何か自分に出来ることはないかと考えていたところだった。
それに、この日本縦断ランで南相馬は通って来てない。
思いがけない機会に恵まれた。
津波だけではなく、放射能の被害にも遭っている地域だ。
これまで見てきた地域とはまた違う現状があることだろう。
[80日目・走歩行距離:8km]