Contents
日本縦断ラン #DAY 51 – 2015.5.22
面白い人が多すぎる
東京都
■恵比寿ハウス
昨晩は恵比寿にあるシェアハウスに一泊お邪魔させてもらった。
通称「恵比寿ハウス」。
今年の2月に東京を訪れた際にも訪れた。
ここの住人の方たちはみな面白い。
「若者が旅する文化を創る」をテーマに活動しているTABIPPOという会社のメンバーの方々や世界一周経験者が多数、アタカマ砂漠を走ったことのある人もいる。
特に旅好きの僕にとっては、刺激をバシバシもらえるシェアハウスだ。
今回もお世話になりました。
毎回ありがとうございます。
■充電期間
東京滞在中は、身体の充電期間と位置付ける。
ランやウォークは控えめに、疲労や痛みを取り除くことに専念する。
ここ東京で、一旦身体をリセットさせたら、いよいよ日本縦断ランは後半戦に入る。
■Faavo本社訪問
午前中、一社企業訪問。
就職活動というわけではない。

Faavoさん。
僕が現在取り組んでいるクラウドファンディングで、そのプラットフォームを運営している会社だ。
クラウドファンディングとは、ネットを利用した資金調達のこと。
あるプロジェクトを実施するにあたって必要な資金を支援者から頂き、プロジェクト実施者はその支援者にリターンを提供する。
つまり、100万円集めたならば、100万円以上の価値を提供しなければならない。
その点では、単なる“寄付”ではなく、“事前購入”であると言える。
ちなみに、クラウドファンディングで集まった資金は、会計処理上は「売上」として計上される。
今回、ご縁あってFaavoで僕のプロジェクトを採用してもらったので、挨拶に伺ったといういきさつである。
起案したプロジェクトは
『The World Running Journey ~世界を走る旅~』
https://faavo.jp/fukuoka/project/581
この日本縦断ランの後は、世界を走ってみようというものだ。
言うまでもないが、他人からお金を頂くのは決して簡単なことではない。
その重みは、プロジェクト起案者としてやはり感じる。
だが、お金を頂くということは、それに相当する価値を提供するという条件のもとに成り立つ。
(“詐欺”など、例外もあるが。)
だから、僕がただ世界を走るというだけでは、きっとお金は集まらない。
要するに、僕が世界を走ることでどういう価値を提供できるのか、というところを明確にする必要がある。
最近そのことばかり考えているのだが、このことに関しては後日、別記事で書きたいと思う。
■シューズ新調
せっかく東京に来たので、
福岡を出発してから、2ヶ月弱共に走ってきたシューズを新調する。

ここまでボロボロになった。
親指が飛び出してしまっている。
多分、日本縦断ランから始まる前に1500kmくらい走っているので、トータル3000km程の距離をこのシューズで走ってきたことになる。
別れ惜しいが、替え時だ。
今までありがとう。
心なしか、シューズも別れを惜しんでいるように見える。
・・・これ以上言うと、ヤバい奴だと思われそうなのでここで止めておく。
新シューズは現シューズと同じアシックスのターサーシリーズ。
やはりアシックスに対する信頼は根強い。
ちなみに、先日紹介した「素足感覚シューズ・無敵」はどうなったのか、と質問が出てきそうなので説明しておきたい。
まず、“通常のシューズを用いたランニング”と“素足ランニング”とは、身体の使い方からして大きく違う。
だから、いきなり“素足ランニング”に完全移行するのではなく、段階的に慣らしていく方が賢明だと考え、しばらくは通常のシューズと素足感覚シューズを併用しようということである。
多少荷物は増えるが、まあ許容範囲だ。
[51日目・走歩行距離:10km]
日本縦断ラン #DAY 52 – 2015.5.23
ランニングが人を繋いでいく
東京都内
■皇居ラン
この日の午前中は、あるランナーの方と皇居ランをご一緒する。
皇居は今や、東京におけるランナーの聖地だ。
常に多くのランナーが皇居の周りを走っている。

渡辺さん。
実は、渡辺さんとお会いするのはこの日が初めて。
僕の日本縦断ランに興味を持ってくれて、Facebookで直接メッセージを頂いた。
凄い時代である。
渡辺さんもランナー。
さらに、自転車で北海道を一周したり、四国のお遍路を踏破したりしている。
また、今後日本のあらゆる土地に行ってみたいという思いもあり、僕の活動に興味を持ってくれたそうだ。


皇居は1周5km。
そこを2周走って計10km。
1km6分程のペースで、会話を楽しみながら走った。
ランニングはコミュニケーションツールとしての機能を十分に持ち合わせていると僕は思う。
新しい出会いがあり、
そして、ランニングを通じてより深い繋がりになる。
ランニングが人々を繋いでいく。
それを今、身をもって体験している。
また、無敵を履いてのランニングは初であったが、新鮮な感覚で走れて面白い。
思った以上にすんなりと走れた。
この調子でボチボチ慣らしていこう。
■ゲストハウスサミット
夜は渋谷で、「ゲストハウスサミット」なるイベントが開催される。

地域に結び付いたゲストハウスについて議論したり、地域に触れる旅について議論したりするイベントだ。
僕自身、ゲストハウスという空間がとても好きだし、東京で開催される旅系のイベントということで面白い人達が集まるだろう、ということで参加。
さらには、長野・安曇野の「地球宿」でお世話になったオーナーの望三郎さんもゲストとして登壇するとのことだ。
つい1週間前、長野で会った後、東京でまたお会いできるとは。
イベントの内容は、事細かに説明するのは割愛させて頂くが、最も印象に残ったのは、太田英基さんの「地域を立体的に見る。」という言葉。
僕自身、地域の特徴やそこの住民の人柄といったものを平均化して語りがちだ。
だが、もちろん、そのカテゴライズが当てはまらない場合も多々ある。
そういった例外を知ることが、新たな知見を得るという意味では重要だ。
現在、国内でゲストハウスが急増しているそうだ。
そして、今後もその動きが加速していく兆しが見えた。
そうなってくると、ゲストハウスをただの“安宿”として捉えていたのでは、生き残るのは厳しいだろう。
どういう“場”を作るのか、といった視点が一層重要になる。
これから全国でどんな“場”が増えていくのだろう。
“場”とは、様々な人、環境が重なり合って生まれる。
それは、目に見えないものだからこそ面白い。
[52日目走歩行距離:15km]
日本縦断ラン #DAY 53 – 2015.5.24
恩送りできる人間に
東京都内
■葛飾区・立石
昨晩は、渡辺さんのご自宅に一泊させていただいた。
場所は、葛飾区・立石。


いわゆる東京の下町と呼ばれるところである。
「東京下町の呑んべえタウン」という異名も持つ。



飲食店が多く、朝から晩まで居酒屋が賑わっている。
小さい町ではあるが、深夜になっても人々の活気に溢れている。
人々の活気と言っても、東京中心街のそれとは全く異なる。
ここ立石では、住民の生活感がありありと見て取れる。
いわゆる「人情の町」と言えばよいだろうか。
とにかく、同じ東京でも中心街とは全く異なる雰囲気の町だ。
新宿や渋谷を見ただけで、東京の全てを知った気になるのは全く早計だ。
それらは東京のほんの一側面でしかない。
人口構成にしても、今や東京の中心街は移民がほとんどで、生粋の江戸っ子は少数派だろう。
そうした移民の集まる街も「東京」であり、立石のような下町もまた「東京」なのである。
先日のゲストハウスサミットでも言われていたように、その地域を立体的に見ようとすれば、旅はもっと面白くなる。
地元感に溢れる銭湯で疲れを癒した後、渡辺さんのご自宅でゆっくり休ませていただいた。
■立石散策
そして、翌朝。
なんと、起床したのが午前11時。
これは大事件だ。
二度寝もせずに、こんなに遅く起きたのはいつぶりだろう。
慢性疲労が相当蓄積していたのだろうか。
さらに、渡辺さんのお家の布団が有り得ないくらい気持ち良かったのも一因に違いない。
とにかく、しっかり休めて良かった。
本来は渋谷でゲストハウスサミットの2日目に参加する予定だったが、もう午後になってしまったということで予定を変更し立石周辺でゆっくりすることに。
有難いことに、渡辺さんが「良かったら、もう一泊しても構わないですよ。」とのことだったので、お言葉に甘えさせていただくことに。


昼食をとり、立石を散策する。
やはり住民の生活感に溢れた町だ。
町のいたるところで、人々の日常的な会話が飛び交っている。
町全体が一つの所帯のようだと言ったら大袈裟だろうか。
身体を回復させたかったので、あまり歩き回ることはせずに、少し散歩した後は駅近くのミスドで大人しく読書。
店内の他のお客さんの会話に聞き耳をたてていると、(←嫌な奴。)
かなりローカルな話が耳に入ってくる。
東京の中心街のことを「東京」と呼んで、地元と区別している。
さらに、「区」でもなく「市」でもなく、「町」やそれ以下の単位で
「地元だ、地元じゃないだ」の話をしている。
いや、面白い。
それだけ細かい単位で、地域差は生じるらしい。
地域というのは、それだけ多様性に富むものなのだろう。
■恩送り


夜、再び渡辺さんと合流し、焼き肉へ連れて行ってもらった。
「牛坊」という地元で人気のお店だ。
やはり、絶品のお肉ばかりだった。
それにしても、何故渡辺さんはこんなにも親切にしてくれるのか。
聞くと、かつて渡辺さんが北海道での自転車旅や四国お遍路をしていた時も、たくさんの人々から恩を受けてきたと言う。
旅を終えた時に、「どうやってこの受けた恩を返そうか。」と考えた末、自分のような何かにチャレンジしている人に対して手助けをしてあげることにしたそうだ。
もちろん恩を頂いた本人にお返しをすることも考えたが、きっとその方は見返りを求めて助けたわけではない、と思った。
それに、本人に対する「恩返し」だと、そのやり取りは二者間だけのもので終わってしまう。
だから、受けた恩を他の人流していく、いわゆる「恩送り」こそが自分のすべきことなのではないか、と考えた。
そして、僕もこの日本縦断ランで様々な人に親切にしてもらっている。
お家に泊めてもらったり、ご飯を奢ってもらったり、町を案内してもらったり、声援をかけてもらったり。
その度に、どうやってこの恩に報いようか、と考える。
人からもらった優しさを自分の“内”に溜めていくだけでは虚しいし、
もらい続けるだけでは、自分一人で抱えきれなくなる。
受けた恩を何かしらの形で“外”に還元したいと思うのはいたって自然な法則なのかもしれない。
自分にできることはまだまだちっぽけだが、僕も「恩送り」を意識していきたい。
綺麗ごとと言われればその通りかもしれない。
しかし、別にそんなに悪いこととも思わない。
[53日目・走歩行距離:3km]
日本縦断ラン #DAY 54 – 2015.5.25
日本縦断ラン、後半戦へ
東京都 → 千葉県・柏市
■東京発
4日間の東京滞在を終え、いよいよ次の目的地へ歩を進める。
だいぶ身体の状態もリセットされた。
シューズ等、物資の調達も済ませた。
これからは日本縦断ランの後半戦に突入する。

東京でお会いしたいと思っていた人全員とはお会いできなかったのは名残惜しいが、ダラダラと長居しすぎるわけにもいかないので出発する。
ルートは千葉、茨城、群馬を通って東北に入る。
■千葉県・松戸市


『男はつらいよ』で有名な柴又を通って千葉を目指す。
程なくして江戸川が見えてくるが、この江戸川を渡ると千葉県は松戸市に入る。



千葉も初めての土地だ。
だが、千葉に入ったからといって途端に辺りの雰囲気が変わるということはなく、東京と千葉の間を行き交う車が大量に走っている。
交通量が凄まじく、常に車の走行音が耳に響く。
身体の方はというと、東京で休みすぎたせいだろうか、妙に身体が重い。
なかなか走り出せない。
長い間走っていると、必ずこういうときはある。
嫌々走るのは一番良くないので、今日は歩きながら瞑想することにしよう。
■柏市

瞑想しながら歩き続けていると、松戸市を抜け、柏市に入る。
ちなみに瞑想していた内容は忘れた。
瞑想とか言いながら、多分何の取り留めもないことを考えていただけだ。
仙人への道は遠い。
…と少しふざけてしまったが、
正直に言うと、東京でのインプットが多かったためその思考の整理に明け暮れていた。
じっとして考え込むよりは、歩きながら考えた方が幾分かはかどる。
歩くことで脳の血液も循環させた方が良い。
ちなみに、走ると脳の血液が循環しすぎてバカになれる。(←持論。)
柏市街地に入ったときには日が暮れていた。
東京が近いので、大きい街だ。
歩行者が多く、夜でも明るい。
この日は、丁度良いところにあったネットカフェに泊まる。
[54日目・走歩行距離:20km]
日本縦断ラン #DAY 55 – 2015.5.26
計画を立てない旅
千葉県・柏市 → 茨城県・常総市
■柏市発
午前6時、柏市を発つ。

やはり都心に向けて通学・通勤するのであろう人々が、この時間から駅にはたくさんいる。
生活の時間帯が早い。
自分も人のことを言えたものではないが。
とにかく、朝の空気は気持ち良い。
ところで、東京から北はほとんど知り合いがいない。
おおまかなルートは考えているが、割と自由に旅のプランを決められる。
ゆったり構えて、ボチボチ進んでいこう。
■茨城県・取手市


やたらと長い橋が現れた。
利根川に架かる大橋で、ここを越えると茨城県に入る。

茨城も初めての土地。
噂では田舎と聞くが、実際どうなのだろう。
しばらく東京に滞在していた故、都会の喧騒から逃れたく思っていた僕は期待を膨らませる。
利根川に架かる大橋を越えて休憩をとる。
外は、日差しがかなり強い。
ジリジリと日光が肌を焼く。
後で調べてみると、31℃まで気温が上がっていたそうだ。
昼食をとり、日が暮れる頃にランを再開するとしよう。
■守谷市、常総市
16時、ラン再開。

おお、これだ。
地元の中学生が健気にヘルメットを被ってチャリを漕いでいる。
何故だか、見ていて安心する風景だ。
ここは守谷市。

国道294号線に合流すると、辺り一面の風景は田んぼだらけになる。
遠くに筑波山が見えるだけで、平地がどこまでも続く。
山間地域とはまた違う風景だ。
澄んだ青空の下に広がる、綺麗に整えられた田園風景が美しい。
気温も下がってきて、爽快に走り続ける。
ペースは1km5分30秒くらい。
「ラン」としての風を切る感覚を取り戻してきた。
脚の痛みもほとんどない。
リズム良く走れるようになってきて力みがない。
日本縦断ラン、約2ヶ月を経てようやくイメージ通りの走りが出来ている感じだ。


そして、気が付くと日が暮れてきた。
常総市の石下というところで、今日は脚を止める。
■石下での出会い
セブンイレブンの前で整理運動をしていると、ある男性が声をかけてくれた。

鈴木さん。
ご自身もママチャリで旅をしたことがあるそうで、僕のラン旅にも興味を持ってくれた。
セブンイレブンで夕食を買ってくれ、
さらには、ホテルの手配までしてくれた。

何でそんなに優しいんですか、と聞きたくなるくらい優しい。
サーフィンが趣味の鈴木さんは、波が高くてサーファーに人気のある、僕の地元・奄美大島にも行きたいと言ってくれたので、その折りにはこちらがおもてなししたいと思う。
泊まったホテルは石下駅のすぐ近く。
偶然にも、鈴木さんのお知り合いが経営されていた。
超ローカル。

骨董品が陳列されていて良い雰囲気だ。
せっかくなので、ゆっくりしていこう。
人のご縁に感謝。

[55日目・走歩行距離:33km]
日本縦断ラン #DAY 56 – 2015.5.27
みなさん、なんでそんなに優しいんですか
茨城県・常総市 → 栃木県・真岡市
■石下発
午前中は朝食の提供もあったので、ゆっくり過ごす。
10時過ぎに石下のホテルを発つ。


名も知らぬ町だったが、一気に惚れた。
これがノープランの旅の醍醐味だ。
■足袋の可能性について
今日は、ランニング足袋・無敵を履いて走ってみる。

足取りは快調。
ペースは1km5分30秒くらい。
普通のランニングシューズと変わらないペースだ。
慣れてくると、確かにこちらの方が走りやすいかもしれない。
無敵は靴底に薄いゴム板が敷いてあるだけなので、踵(かかと)接地では、踵にかかる衝撃が大き過ぎて、自然と前足部からの接地になる。
これが、いわゆる「フォアフット走法」と呼ばれるものだが、底の厚いシューズを履いているとこれが意識し難い。
底の厚いシューズを履いていると、踵から接地する走り方でも、シューズのクッションが衝撃を吸収してくれるので、足にかかる負担は減る。
つまり、シューズのおかげで踵接地をしても痛くないのだ。
ただし、踵接地の走り方は、ブレーキをかけた走りと言われ、前方への推進力を生みにくいとされている。
とすれば、踵接地を矯正する手段として、素足感覚のランニング足袋は有効だろう。
変に親切なクッションがないため、踵接地に頼ることが出来ないからだ。
と、ここまで理屈を振りまいてきたが、僕自身、完璧な走り方を知っているわけではない。
ランニングフォームの理論なんていうものも世の中にはごまんとある。
その中で、理論と実践を重ねながら自分に合うものを探していくわけである。
全てのランナーにとって、完璧なフォームなどない。
だから、特定のフォームを押し付けるのも良くないと思う。
だが、世の中にランニングシューズというものが生まれるずっと前から、
日本には飛脚という者たちが一日に100kmもの距離を地下足袋で日本中を走り回っていた。
昔の修行僧も、現代のようなクッション性のあるシューズとは比べ物にならないような足袋で日本各地を歩いていたことだろう。
そうした化け物じみた人間がいたという事実。
それを改めて見直す価値は十分にあると思うのだ。

■栃木県・真岡市
茨城に入ってから、再び声をかけられる頻度が多くなってきた。
みな、気さくに話しかけてきてくれる。
差し入れもたくさん頂く。


そうした人との触れ合いからエネルギーを頂きながら、
次は栃木県が近づいてくる。

国道の歩道のはずだが、こんなに草が生い茂っている。
小高い坂を越えると、栃木県との県境が見えてきた。

栃木県は真岡市。
真岡と書いて、「もおか」と読ませる。

道の駅・二宮で休憩。
二宮と聞いて、まさか、と思う。
やはりそうだ。
二宮尊徳ゆかりの地らしい。
またの名を二宮金次郎。

小学校によくいる薪を担ぎながら勉強している彼である。
勉強熱心な人だなと思ってはいたが、彼はこの土地で農業の大改修を行ったそうだ。
なるほど、それは偉大だ。
彼の功績をこういう形で知ることになるとは。

また、真岡を含む芳賀郡はイチゴの名産地。
至る所にイチゴがPRされているが、少々手を伸ばし難いお値段だ。

道の駅は、雲雀(ヒバリ)も御用達。
誕生日は5月12日か。
僕と近い。
どうでもいい。
そして、この日はさらに歩いたところにあるマックで休むことに。
ここら辺りは工業地帯が広がっているので、休めそうなお店を見つけるのに苦労した。
[56日目・走歩行距離:41km]
日本縦断ラン #DAY 57 – 2015.5.28
人生、なんとかなる
栃木県・真岡市 → 栃木県・宇都宮市
■真岡市発

昨晩は、マックでずっとPC作業。
睡眠は、仮眠程度しかとれなかったため、この日はほぼ無睡状態でスタートする。
大学4年時は、コンビ二の夜勤をしていたため、無睡で走ることは良くあった。
あの時のタフさは無駄にはなっていない。
ただ、身体は大丈夫でも脳の動きが鈍い。
ただでさえ頭の回転が遅いというのに。
とにかく、この日は宇都宮市を目指す。
栃木県の県庁所在地だ。
■宇都宮市

田んぼ以外ほとんど何もない道を走り続け、
宇都宮市に入る。
徐々に建物が増えだしてきた。
そこで、ある看板が目に留まる。

「シューベルトよりシートベルトが好き」
詳しい事情は分からないが、
シューベルトが可哀想だと、僕は思った。
それからまもなく、鬼怒川(きぬがわ)が見えてくる。
全長約170kmもの長い河川だ。

鬼怒川に架かる橋を越えると、宇都宮市街地に入る。
一気に建物が増え始め、景色は都会の様相に変わる。
なんだか若者が多いな、と思ったら、
宇都宮大学があった。
略して、宇大(うだい)。
「うつのみや」の五文字が「う」の一文字に短縮されてしまうのは、改めて考えてみると面白い。

そして、コンビニのミニストップとの一体感が凄い。
最初は、普通にミニストップの店舗かと思った。
だが、洗面所には、やはり大学らしい注意書きが。

「洗面台に嘔吐しないでください」
宇大のすぐ近くは、もう宇都宮中心街。
結構大きい街だ。

と思ったら、街のど真ん中に立派な神社が建っている。
二荒山神社という。
風情の残る近代化した都市だ。




また、この日はちょうど神事の日であったようで、舞踊が行われていた。
正直、よく分からない。
これまた雑談になるが、日本には無数の神様がいる。
何だかもう訳が分からなくなるくらい多い。
いわゆる「アミニズム」というやつで森羅万象に神が宿るという考え方だ。
一神教とは違って、何でもありな感がある。
仏教が入ってきたときも、それを柔軟に取り入れ、さらに神とくっつけてしまった。
これは、いわゆる「神仏習合」というやつ。
その点で、日本文化は非常に柔軟性があると言える。
最近、
「日本独自の文化を世界に発信しよう」
と声高に叫ばれ、
「いまどきの若者は日本文化を知らん」
などと嘆く声も多い。
それ自体は否定しないが、そもそもあらゆる文化を柔軟に取り入れてきたのが日本文化である。
明治維新後の文明開化にしても、敗戦後の高度経済成長にしても、あれだけのスピードで外国文化に順応するのは世界的に見ても珍しいそうだ。
この柔軟性ゆえに、日本文化は非常に混沌としており、理解するのは困難だ。
だが、この“混沌”とした感じ、“理解のし難さ”こそが日本文化の真骨頂だと思う。
■宇都宮での出会い①
ところで、宇都宮に来たからには、宇都宮餃子は食べておきたいところ。
しかし、駅前のがっつり観光客向けのお店で食べるのは味気ないし、
地元のお店も知らない。
そこで、偶然声をかけてくれた男性は榎田さん。
(そういえば、写真を撮り損ねた。)
地元で有名な餃子専門店を紹介してもらい、昼食をご一緒する。


水餃子がめちゃくちゃ美味しい。
水にたっぷり浸して出されるのも、よそ者からしたら新鮮な体験。
お店の名前は「正嗣」。
地元の方に教えてもらわなければ分からないような場所にある。
榎田さんに出会ってなければ、恐らくスルーしていたことだろう。
榎田さんご自身も旅好きで、そこから学んだことは
「人生、何とかなる。」
だそう。
激しく同意だ。
というより、
「なるようにしかならない。」
と思う。
楽しい会話と、美味しいお食事、ありがとうございました。
午後は、再びPC作業をひたすら進めてこの日は過ごした。
[57日目・走歩行距離:24km]
日本縦断ラン #DAY 58 – 2015.5.29
走らなかったからこその出会い
栃木県・宇都宮市
■大体、宇都宮
昨晩は、カラオケに泊まる。
宇都宮は大きい街だったが、ネットカフェがほとんど無かった。
そういえば、夜になると急に人通りが急に減った。
夜はしっかり休む街なのかもしれない。
そして翌朝。
全然疲れがとれていない。
足がパンパンにむくんでいる。
カラオケに一人。
なんだか切なくなった。
そして、眠い。
■休養日
そんな感じで体調が思わしくなかったので、この日は昼過ぎまで読書。
旅をしていると、いろんなことに興味が沸いてくる。
最近、知的好奇心が異常に高い。
それは良いのだが、インプットの量が多すぎて、それを整理する時間とアウトプットの量が
足りていないというのが現状だ。
贅沢といえば贅沢な話ではあるが。
■宇都宮での出会い②
全く移動しないのもあれなので、散歩程度に宇都宮市郊外まで歩く。
久しぶりの雨だ。
5km程歩いたところで、時刻は18:00。
そろそろ宿を見つけようと、辺りをウロウロ。
すると、声をかけてくれたの女性は長谷川さん。

旅好きの血がうずいて、声をかけてくれたそう。
やはり、声をかけてくれるのは旅好きの方が多い。
なんと、またまた親切なことに、お家に泊めてくださるということに。
本当にありがとうございます。
何だか日増しに自分が図々しくなっている気がする。
けれど、それ以上にいろんなことに感謝できるようになったとも思う。

こちらは、ラブラドールのクーちゃん。
最初はかなり警戒されて吼えられたが、次第に落ち着いて、最終的にはかなり甘えられた。
ツンデレである。
長谷川さんは山形県のご出身。ご主人は福井県のご出身だ。
どちらも九州とはあまり馴染みが無い場所。
お互いの話に興味津々だ。
そして、夕食。
釜で炊いた福井のお米は、信じられないくらい美味しかった。
お米でこれだけ違いを感じたのは初めてだと思う。
餃子や唐揚げも美味しくいただいた。
楽しく、穏やかで、温かい時間。
この日、サボり癖のようなもので、全く走らずに一日が過ぎてしまった。
そのことに対して若干の自己嫌悪を感じていたが、
今日走らなかったからこそ、このような出会いに恵まれた。
そう考えると素晴らしい。
これで、きっと良い。
[58日目・走歩行距離:5km]
日本縦断ラン #DAY 59 – 2015.5.30
日光杉並木をひた走る。
栃木県・宇都宮市 → 栃木県・日光市日光
■宇都宮市発
お世話になった長谷川さん宅を後にして出発する。
この日は、世界遺産・日光東照宮のある日光市へと向かう。


日光へ行くには、この日光街道をひたすら進む。
日光へ続く日光杉並木は、なんと30km以上にも及ぶ。
この長さは、世界最長である。
また、植林されたのは400年前。
歴史もある。
天候は快晴。
気温は30℃を越えているが、木陰がいくぶんかその暑さを和らげてくれる。
木漏れ日が良い画になる。


青々とした田んぼと澄み渡る青空。
蛇は、僕が近づいても逃げない。
のん気なものだ。
■日光市
道は一本道。
淡々と走り続ける。
ペースは1km5分30秒ほど。
良い感じ。

そして、日光市に突入。
だが、世界遺産の日光の社寺まではまだ距離がある。




それにしても、このコースは走っていて気持ちが良い。
ランニングコースとしてもお薦めしたい。
そして、ついに日光に到着。




世界遺産の町としての賑やかさもありながら、落ち着いた雰囲気も残っている。
白川郷などとは違い、ツアー客はほとんどいないようだ。
個人単位での観光客が多い。
世界遺産である日光の社寺だけでなく、「日光」という町自体を楽しめる。
■日光ゲストハウス「巣み家」

本日の宿はこちら。
日光ゲストハウス「巣み家」
予約をしていなかった上、今日は土曜日。
空きがあればラッキーくらいの心持ちで玄関をくぐる。
宿内はものすごくアットホーム。
入った瞬間から、ゲストと宿のスタッフがワイワイ。
すぐに僕も歓迎され、ワイワイ。
まだ、チェックインも済ませてないのに。
案の定、宿は満室。
だが、地べたで寝ても良いなら1000円という格安値段で泊まらせてもらえるとのこと。
全然構わない。
というより、この空間が一気に好きになった。



ごく当たり前のように、みんなで宴が始まる。
外国人留学生や国内外の旅人、ライダー、そして地元の方々。
実に様々な人が集まる。
料理を作ってくれた寺さんは、自転車で世界一周をしてきたそうだ。
美味しい料理と楽しいお話をありがとうございます。

僕と同じ名前のかずまくん。
ゆうに10kmは超える僕のバックパックを背負ってみせた。
これは将来有望である。
そして、就寝時はこうなる。

皆、逞しい。
[59日目・走歩行距離:30km]
日本縦断ラン #DAY 41 – 2015.5.12
鬼怒川を北上する。
栃木県・日光市日光 → 栃木県・日光市川治
■日光の社寺
あまりにも日光の居心地が良いので、午前中はこちらでゆっくりすることに。
早朝、まだ観光客が少ないであろう時間に世界遺産・日光の社寺を見て回ってきた。





徳川家康の霊を神格化して祀る日光東照宮。
二荒山神社、輪王寺と併せて、「日光の社寺」と呼ばれる。
標高は600mを超えていて、昔ながらの避暑地としても有名だ。
ちなみに、1617年、東照宮を創建した天台宗の天海は、107歳まで生きた長寿の人。
江戸に幕府を開くよう家康に助言した人物でもあり、
その正体は本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と同一人物ではないか、という説もある。
なかなか魅力的な人物だ。

■日光マルシェ
市街に戻ると、町は日光マルシェで賑わっている。
町全体で行う物産イベントだ。




ぶらりと一回り。
おしゃれなお店が数多く、特に若者たちが地域を盛り上げようとする雰囲気が強く感じられた。
やはり、日光は「世界遺産」というブランドだけに頼りきりの町ではない。
■日光発

いよいよ日光を発つ。
人との出会いに恵まれ、とても楽しい時間を過ごすことができた。
またふらりと足を運んでみたくなるような町だ。


今日も快晴。
足取りも快調。
目指すは鬼怒川、そして川治の温泉郷。




いかにも秘境と呼ばれるような渓谷をいくつも越えて走っていく。
谷の間に吹く風は強烈で寒気すら感じる。
通っている道は、国道121号線。
別名、会津西街道。
比較的、車通りが少なく、走っていて気持ち良い道だ。

鬼怒川の温泉郷を抜けてから川治の温泉郷に至るまで、
いくつものアップダウンが続くが、それほど急ではないので淡々とリズムよく走れる。
そして、今日のゴール地点・川治に到着。


かわじいが出迎えてくれた。


たまに車が通るくらいで、
他に人影はほとんど見当たらない。

小さな温泉郷だが、休めそうな場所を発見。
観光情報コーナーだ。
開館時間は21時までだそうだが、22時になっても誰も来ない。
きっと大丈夫だ、と思って休む。
すると、深夜0時頃。
ガラガラ。
「うおっ。」
管理人らしき人が僕を見て驚く。
確かに、こんな時間に観光情報コーナーに人がいるとは思わないだろう。
驚かせてすみません。
その管理人も優しい方で、
この日はそこで一泊させてもらった。
[60日目・走歩行距離:37km]