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日本縦断ラン #DAY 41 – 2015.5.12
大自然と人の温かみに触れながら旅の疲れを癒やす。
長野県・安曇野市
■完全休養
昨日、左脛の痛みを抱えながら、なんとかかんとか安曇野市に到着した。
どうやら、かなり負傷しているようだ。
患部が腫れ、熱を持っている。
歩くのもままならないので、この日は完全休養とする。
もっとゆっくり行け、というメッセージなのかもしれない。
■地球宿

先日から泊まっているこの宿の名は「地球宿」。
実は、1年ちょっと前、ゲストハウス巡りをしていた際に一度訪れている。
今回は二度目の宿泊だ。

右端がオーナーの望三郎さん。中央が筆者。左端がスタッフの健太郎さん。
今回も温かく迎えてくれた。
地球宿のコンセプトは、「生産のある暮らし」。
消費ばかりを繰り返す暮らしから生産のある暮らしへ、という思いから
農業に取り組み、半自給自足の生活を送っている。
高原の厳しい環境で育つ安曇野野菜はどれも美味しい。
だが、ここにいると、それらが生産されるまでには大変な苦労があることも垣間見える。
コンビニ・スーパーに行けば、いつでも安く食事を済ませられる。
普通に過ごしていれば、食には困らない時代だ。
しかし、実はそれが当り前ではないということも薄々と分かっている。
コンビニが便利であることは間違いない。
この日本縦断ランもコンビニがなければ、相当厳しいものになるだろう。
だから、その便利さは大いに活用して良いと思う。
だが、その便利さの裏にはどんな背景があるのだろう。
特段、日々の行動を変えるわけでもない自分が偉そうなことも言えないが。

…と、いきなりシビアなことを書いてしまったが、
とてもアットホームな雰囲気の宿で居心地が良い。
(上の写真は前回訪れた時のもの。)
安曇野の大自然の中、人の温かみに触れながら旅の疲れを癒す。
■安曇野

「安曇野」という地は、かつて九州から流れてきた人々が作った集落だそうだ。
九州にゆかりのある穂高神社もある。
九州から長野までというと遠いような気もするが、交通機関も未発達の昔から渡る人もいたのだ。
現に自分が脚だけでここまで来てみると、当時を疑似体験している気になる。
もちろん、道路の状況などは今と比べ物にならないだろうが。
■台風
そういえば、台風が日本列島を北上しているらしい。
テレビなど見ていないので、そういった情報が全然入ってこない。
安曇野でも午後から雨が降りだした。
ちょうど今日が休養日で良かったのかもしれない。
明日には、少しでも脚の状態が良くなっていることを祈りつつ休む。
[41日目・走歩行距離:0km]
日本縦断ラン #DAY 42 – 2015.5.13
ゆっくりと里山を進む
長野県・安曇野市 → 長野県・松本市
■安曇野発

2日間お世話になった安曇野を発つ。
まだ左脛の痛みは残っているが、完治するまで待っていてもキリがないので、様子を見ながらゆっくり前へ進む。
その代わり、今日はウォーキングのみだ。
とりあえず、隣町の松本市まで行って様子を見よう。
地球宿の方々に見送られ、出発。

安曇野の田園風景の中をゆっくりと歩いていく。
天気は快晴、気温も温暖だが、台風の影響で依然風は強い。
風に煽られると、左脚の痛みのせいで踏ん張り切れない。
何たる貧弱さだろう。
やはり、今日は松本まで行ければ十分か。
■松本市
13km程歩き、松本市に到着。
国宝の松本城は、松本駅のすぐ近くにある。

当時としては珍しい平城だ。
人は多過ぎず、天気も良かったので、ここのベンチでしばし休憩。
ここに来るまでの道、最後の方は再び脚を引きずりながら歩いていた。
たった13kmでもかなりくたびれた。
■カンデラゲストハウス

松本市での宿はここ、「カンデラゲストハウス」。
地球宿のスタッフの方たちに紹介されて訪ねてみた。
味噌蔵を改装し、
若いスタッフ中心に運営している素敵な宿だ。
また、地域密着型のゲストハウスとして、
イベントを開催すると地元の人々も集まるそうだ。
いわゆる「町おこし」のポイントは、地元の人々と外部の人々の交流にあるという。
そういう意味では、ゲストハウスが地域活性化に担う役割は大きいのかもしれない。
スタッフ、ゲストは皆フレンドリーで和やかな雰囲気。
夜はリビングで団欒して過ごした。
ゲストハウスの運営は個人的にとても魅力を感じる。
世界中から面白い人がやってくるからだ。
大学3年時、カナダを旅していたときにゲストハウスのオーナーが言っていた言葉が忘れられない。
“I love my job.”
(私はこの仕事が大好きだ。)
お金が無くなったら、ゲストハウスで働いて居候する旅人も多い。
そういう道も見据えてのんびり構えてみよう。
さて、明日は脚の調子はどうなっているだろうか。
そろそろ走りたいところだ。
[42日目・走歩行距離:14km]
日本縦断ラン #DAY 43 – 2015.5.14
長野の山を走りながら23歳の誕生日を迎える。
長野県・松本市 → 長野県・長和町
■松本市発
松本市のカンデラゲストハウスを出発。


脚の状態は何とか走れるまでは持ち直してきた。
今日の目的地は、長野県・長和町。
松本市から長和町へ行くには、二通りの道がある。
車通りが多い三才山のルートか、険しい道のりの扉峠を越えるルート。
最短ルートは恐らく扉峠を越えるルートだ。
県道なので、国道よりは静かに走れるだろう。
ということで、扉峠ルートを選択。


松本市を抜けると、すぐに山並みの風景が広がる。
交通量が一気に減り、走りやすくなる。
ここから約20km上り坂が続く。

ふと、このブログに走っている写真を載せてないな、と思ったので、
交通量が少ないここらでパシャリ。
髭が伸びて、小汚くなってきた。
走りながら動画を撮って、旅中の様子を発信すれば、よりメディアとしての質は高まるのだが。
少々キャパオーバーになるので、追々ということにする。

山が夏山へと変わっていく。
新緑がまぶしい。
気温は高いが、いたるところに流れる滝が涼みを生む。

道は次第に狭くなり、傾斜もキツくなってくる。
走るペースが1km7分、8分、8分半、と自然に落ち込んできた。
ペースはゆっくりだが、変わりゆく山道の風景を眺めながら走っていると、時間が過ぎるのが早い。
■23歳の誕生日

私事ではあるが、本日5月14日は僕の誕生日だ。
23回目の誕生日は信州の山道を黙々と走って過ごすことになった。
まあ、僕らしいといえば僕らしい誕生日の過ごし方かもしれない。
またあっという間に一つ歳を重ねてしまった。
この調子だと、人生すらあっという間に終わってしまうのだろう。
今は毎日それなりに楽しめているし、まだまだやりたいこともある。
23歳らしく生きるとか、社会人らしく生きるとか言っても、未だにピンとこない。
そんな口先だけの宣誓よりも、ただ走り続けることで語りたい。
淡々と山道を駆け上がりながら、そんなことを考える。
■県道67号線
県道67号線をしばらく上り続けると、行く手を阻むものが現れた。

「通行止め」の案内標識。
マズい。
もしこの道が通れないなら、ここまで走ってきた13kmを引き返して再び別のルートから長和町を目指さなければならない。
それは、あまりにも酷だ。
だが、よく見ると通行止めの期間は冬季に限ると書いてある。
通行止めの対象も恐らく車両だろう。
とはいえ、半年間通行止めされているのだから、それなりに道も荒れているのだろうか。
まあ、軽いトレランのようなものだ。
※トレラン…トレイルランニングの略。登山道や林道などの不整地を走る新興スポーツ。
通行止めされているから、車も全く通らないのでかえって都合が良い。
柵を越えて先に進む。



なるほど。
半年間通行止めされるだけで、道路はこんなにも荒れてしまうのか。

上り坂が延々と続く。
標高は1600m程はあるだろうか。
ここまで来ると、鳥の鳴き声も遠くなってきた。
聞こえるのは、自らの足音と息遣い、それからバックパックが揺れる音。
そのリズムが妙に自分を集中させる。
人間社会らしい雑音はもう全く聞こえない。
■長和町へ
扉峠を上りきる。
20km程走った。
左脛の痛みはあったが、意外と調子よく走れた。
上り坂であったからだろう。
上り坂では、大腿(太もも)などを使って走るので、膝下にかかる負担が少ない。
しかし、下り坂になると話が違ってくる。

これだけ急な下り坂であれば、どうしても膝下で踏ん張らなければならない。
いわゆる「ブレーキをかける走り」だ。
そのブレーキを掛ける度に、あの左脛に激痛が走る。
時には後ろ向きに歩いたりして、その衝撃を和らげる。
旅ランを続けていくと、あらゆる走り方を習得できそうだ。
ずっと同じ走り方や体の使い方で40kmも50kmも走っていると怪我に繋がる。
その場の状況に応じて走り方も変えていかなければならない。

そして、扉峠を下りきり、長和町へ。
人界を離れた扉峠をようやく越えてきた僕には、この風景が大都会に見えた。
■羽田家
この日は、福岡でお世話になっている走る税理士・羽田さんのご実家に泊まらせていただく。


ご両親はとてもフレンドリーで親切だ。
たくさん話をして、美味しい食事も頂き、楽しい時間を過ごす。

羽田家のヤギ達も温かく迎えてくれた。
そして、突然の訪問にも関わらず、なんとサプライズの誕生日ケーキが。


まさか、こんな形で祝ってもらえるとは。
展開が予想外過ぎる。
本当にありがとうございます。
少し奇妙だけれど、素敵な誕生日だった。
[43日目・走歩行距離:34km]
日本縦断ラン #DAY 44 – 2015.5.15
一生の財産となる経験とは
長野県・長和町 → 長野県・佐久市
■午前中は脚の様子見
昨日の扉峠を下る際に相当ダメージがあったようで、再び歩くのもままならない状態に。
一晩休んで少しはマシになったようだが。
先を急がず、この日の午前中は脚の様子を見ることに。
隣町くらいまではいけそうか。
■長和町発
なんとか痛みが治まってきたようなので、この日も先に進むことにした。
午前11時、長和町でお世話になった羽田家を発つ。
たくさん親切にしていただいた。
毎回言っているが、こうした経験が一生の財産になる。
今回はお礼の手紙を渡すことくらいしか出来なかったが、これから何かしらの形で恩返ししていきたい。
本当にありがとうございました。
■立科町・佐久市


この辺りになると、隣町へ行くのに毎回と言っていいほど峠がある。
長和町から笠取峠を越えて、立科町へ。
左脛の痛みは残っているが、腰高で大腿を使ったフォームを意識すればそれなりに痛みを抑えられる。
延々続く坂道を1km7分ちょっとのペースで走る。
これくらいゆっくりのペースであれば、問題なく走り続けられそうだ。

立科町を走ったのも束の間、すぐに佐久市に入る。
高校時代、駅伝部で走っていた僕としては、
「佐久」と聞くとまず思い浮かべるのが、高校駅伝の強豪・佐久長聖高校だ。
大学、実業団に進んだ後も一流の選手として活躍するランナーが多い。
そんな素晴らしいランナー達を輩出した地を走っているのだなと、少々興奮しながら走る。

道の駅・浅科(あさしな)で休憩した後、佐久市街へ。
今夜は天候が崩れるらしい。
カラオケを宿にとり休むことにする。
[44日目・走歩行距離:32km]
日本縦断ラン #DAY 45 – 2015.5.16
雨に打たれながら関東突入
日本縦断ラン #DAY 41 – 2015.5.12
長野県・佐久市 → 群馬県・下仁田町
■佐久市発
午前5時、外は雨。
夜の間に降り出したようだ。

それほど強い雨ではないので大丈夫だろう。
まずは歩き始める。
■内山峠
佐久市から東へ進むと、ようやく長野県を抜け、群馬県に入る。
しかし、群馬に入るには、いつものごとく峠を越えなければならない。
今回の峠は内山峠。
扉峠ほど険しい道でなければ良いが…。

「鹿注意」の看板に少し気を引かれながらも先へ進む。
雨が周りの音を静めてくれて心地よいくらいだ。

なだらかな上り坂が10km程続く。
ペースは1km7分前後。
上り坂ということを考えると悪くない。
少しずつ左脛の状態も良くなってきているようだ。


そして、ここが内山峠頂点付近。
雨のせいで霧が深い。
ただでさえ壮大なこの渓谷を、濃霧が一層厳かな雰囲気にする。
自分が山へ入るのを拒まれている気がしないでもない。
■群馬入り
内山峠を下り始めると、すぐに群馬県は下仁田町に入る。


と言っても、見渡す限り山だ。
標高1000mは超えているか。
奥に見える切り立った形の山は「荒船山」という。
珍しい形の山が多い。

山並みを縫って伸びる国道254号線はいくつものカーブを描き続ける。
そして、雨が次第に激しさを増してきた。
道は狭く、大型車の通行も多い。
注意力を高めながら、峠を下っていく。
■荒船の湯
23km地点。
「荒船の湯」が現れる。

ちょうど休憩しようと思っていたところだ。
朝から3時間、雨にもだいぶ打たれた。
冷えた身体を温泉で温めることにする。
群馬に入ってから、かなりの頻度で話しかけられる。
温泉で出会うお客さん、スタッフも気さくな方ばかりだ。
お話好きな印象を受ける。
峠一つ越えただけで、その人柄の違いに気付くことは多い。
しばらく荒船の湯で寛いだ後、出発する。
雨は止み、青空が姿を覗かせている。

■下仁田町

下仁田町の集落が見え始めた頃には天気も回復し、日が差してきた。
じんわりと汗ばむ。
そろそろ夏がやってくる。

霧が晴れてあたりを見渡すと、やはり珍しい形の山が続いている。
ジオサイトとしても有名な土地らしい。


しばらく進むと、道の駅・下仁田に到着。
円形の建物でなかなかお洒落な道の駅だ。
待合所も広く、24時間解放されているようだ。
寝るには困らない。
今日はここで休むことにする。
ちなみに、このような場所で野宿をすると、夜は真っ暗だ。
というか、本来、夜は暗いものである。
都会のように真夜中でも明るい環境というのは、正常に休めないとさえ僕は感じる。
まあ、それが都会の便利さでもあるので否定はしないが。
車の音も聞こえない。
虫や鳥の鳴き声だけを聞きながら眠る。
[45日目・走歩行距離:39km]
日本縦断ラン #DAY 46 – 2015.5.17
「足で稼いだ情報」が最も強い説得力を持つ
群馬県・下仁田町 → 群馬県・藤岡市
■下仁田発
午前7時、道の駅・下仁田を発つ。
今日の天気は快晴だ。
日差しが強い。
ところで、僕の肌はどこまで焼けていくのだろうか。

本格的な夏が始まる前にしては、
今年の時計焼けはなかなか良い出来だ。
ランナーなら共感していただけるかもしれないが、毎夏この時計焼けを育てるのが密かな楽しみなのである。
■富岡市
脚の調子は悪くない。
左脛は相変わらず痛むが、1km6分台のペースで走れている。
平地が増えてきたのでスピードにも乗る。
だが、こういう調子が良いと思ったときに怪我をしやすいというのが教訓だ。
調子に乗りすぎないように今日もあまり距離は踏まないようにする。
30kmちょっと進めば良いだろう。
富岡市の車道は広く、直線が続く。
これほど整然とした道を走るのは久しぶりだ。
■藤岡市
富岡市からさらに15kmほど行くと、藤岡市に達する。
群馬県と埼玉県の境にある町だ。
ところで、群馬県は車の保有率が全国上位であるため、車の運転が荒いと聞いたことがある。
その話を聞いて正直、群馬はあまり長く走っていたくないなと思ったが、案外それほど運転は荒くないと感じた。
むしろ道を譲ってくれるドライバーが多い。
あくまで、群馬の端っこしか走ったことのない自分の感覚に過ぎないが。
しかし、「百聞は一見に如かず」とはこのことだ。
ネット上で嘘とも本当とも分からない情報が錯綜する現代、これからは「自らの経験」や「足で稼いだ情報」というのが強い説得力を持つ時代になるはずだ。

上は藤岡市内のとあるファミリーマート。
イートインコーナーが、完全にカフェ化している。
Wi-Fiも使え、充電もできる。
コンビニはどこまで便利になるのだろうか。
そして今夜は群馬藤岡駅で休むことに。
お洒落な若者の出入りが多い。
都心からの帰りだろうか。
東京が近づいてきたことを少しずつ感じる。
[46日目・走歩行距離:30km]
日本縦断ラン #DAY 47 – 2015.5.18
関東平野で旅のご縁が繋がる。
群馬県・藤岡市 → 埼玉県・本庄市
■藤岡市発
昨晩は群馬藤岡駅で野宿。
田舎であれば駅は基本的に夜中も解放しっ放しであるから屋内で寝られるのだが、関東に入るとそう思惑通りにはいかない。
終電が過ぎる頃には、しっかり駅の待合所も施錠してしまうのだ。
ああ残念。
まあ、防犯上それが普通のことではあるが。
というわけで、屋外のベンチで寝たわけだが、やはり5月下旬に差し掛かったとはいえ夜中は冷える。
寒さで何度も起きる。
4時半には起床し、辺りが明るくなる5時頃に出発。
じっとしていた方が寒いので、さっさと歩き始めて身体を温めた方が良い。

夏至が近づき、日が昇るのが早くなってきた。
さらに東へ向かっているので、日昇時刻は尚更に早くなっていく。
朝の清々しさは何と言い表したら良いだろう。
理屈ではない爽快感を得られる。
■ウォーキング日
一方で、体調はあまり思わしくない。
なかなか体の冷えがとれないのだ。
それに最近熟睡できていない日が続いているせいか、慢性的な疲労感がある。
しばらく歩いた後、とある休憩所で休む。
やはり、どうにも身体がだるい。
今日は無理せず、ウォーキングのみにしよう。
■埼玉県入り

藤岡市は、群馬県と埼玉県の境にある。
橋を渡って、埼玉県は神川町に入る。
辺りは急に平地だらけになった。
遠くに山並みは見えるがどれも低い。
特段、建物が多いわけではないが、雰囲気は確かに変わった。
視覚的に人を多く確認できるわけではないが、人間社会のむわりとした熱気のようなものを感じる。
何しろ人口の多さは東京に次ぐ全国2位の県である。
その先入観が僕にそう感じさせるのか、真の直観でそう感じるのか、自分でもよく分らない。
■本庄市
今日の目的地を決めようと、マップを眺める。
すると、自分の現在地のすぐ近くに「本庄市」がある。
そこは確か寄るべく場所であったはずだ。
実は、岐阜県・白川郷の道の駅で出会ったあるご夫婦がお住いの町がこの本庄市。
夜の白川郷で僕がブログの記事を書いていたところに偶然居合わせた方々だ。
小池さんと言う。
ご夫婦でよく旅をされているそうだ。
そのとき、埼玉の本庄を通るときは是非連絡をするように、と言ってくださった。
なんと、もうこんなに本庄の近くまで来てしまっていたのか。
見事に土地勘がなかった。
急な連絡で申し訳ないが、小池さんにメッセージを送る。
そんな急な連絡にも関わらず、この日は本庄にあるご自宅に泊まらせていただくことに。
ありがとうございます。

本庄駅で小池さんと合流。
夜はご自宅にお邪魔し、美味しい食事と会話を楽しみながら、平穏な時間を過ごす。
白川郷で偶然出会ったという全く不思議なご縁だが、こうして繋がっていられる。
この日本縦断ランで僕が辿った軌跡が、いわゆる「人脈」として日本中を張り巡っていく。
そして、ここで築かれる「人脈」は、単発のイベントやパーティで名刺交換をしただけで得られる人脈とはどこか違う気がするのだ。
「人脈」とは、「繋がる」とは、どういうことか。
或いは、そう簡単に多用してはいけない言葉のような気もする。
[47日目・走歩行距離:15km]
日本縦断ラン #DAY 47 – 2015.5.19
誰のせいにもできない。だから楽しい。
埼玉県・本庄市 → 埼玉県・川島町
■本庄市発
昨晩は、小池さん宅で一泊させていただいた。
久しぶりのベッドで、ゆっくりと休むことができた。
左脛の状態もだいぶ良くなってきている。
小池さん宅を発つ前に写真を撮る。

平日の朝であったので慌ただしく、全員揃って撮ることが出来なかったのが心残りであるが、是非またどこかでお会いしたい。
お世話になりました。
ありがとうございました。
■深谷市、熊谷市



本庄市を発ってから、
渋沢栄一生誕の町・深谷市、全国きっての猛暑の町・熊谷市を走り抜ける。
1km5分台のペースで走れている。
脚の痛みも、普通に走る分にはほとんどない。
道は平坦で、歩道もしっかりしているので、淡々とリズム良く走れる。
このような爽快なランは久しぶりだ。
そして、街並みはどんどん都会へと変わっていく。
車の数も人の数も一気に増えた。
何より若者や学生の数が多いことに気付く。
そして、彼らはこれまで見かけた学生とは明らかに雰囲気が違う。
高校生は、お洒落な髪型がキマっており、立派なロードバイクを乗りこなす。
中学生は、スラっとした体型の子が多く大人びて見える。髪は長い子が多い。
ヘルメットを被ってチャリを漕ぐ子はいなかった。
■今日のゴールは…
その後、特段身体に異変も起こらず、
無事に東松山市に到着。


今日はこの辺で休む場所を探そう、と駅前をウロウロ。
すると、地元の女性が声をかけてくれた。
聞くところによると、近くにネットカフェがあるらしい。
最近、ブログ更新が全然できていない。
やるべき作業が溜まっているので、できれば今日はネット環境のあるところで休みたい。
そのネットカフェは徒歩20分程のところにあるらしいので、そこまで足を伸ばすことにする。
そして、10分歩き、20分歩き、30分歩き…。
60分経過。
…うん、全く辿り着かない。
迷子になったようだ。

それから追い討ちをかけるように、日が暮れ始める。
辺り一面は田んぼ。
仕方がないので、休めそうなところまで歩き続けるとしよう。

ようやく、田んぼの中にポツンと建つ休憩所を発見。
結局、この日はここで野宿することに。
辺りに店は見当たらず、夕飯は抜き。
ここは、川島町。

綺麗な夕日を拝んで休む。
別にこれくらいのことで大変と思わなくなったあたりは、僕も少しは成長した。
「日本縦断ラン」は、自分で選んだ道だ。
誰のせいにもできない。
だからこそ楽しい。
[48日目走歩行距離:40km]
日本縦断ラン #DAY 49 – 2015.5.20
都会の景色へ変わりゆく。
埼玉県・川島町 → 埼玉県・新座市
■川島町発
この日も5時半頃には出発。

辺りは既に明るく、大型貨物トラックが多く走っている。
道なりに進んでいくと、ますます車の交通量が増えていく。
早朝にしては、少し騒々しい。
何といっても関東は朝が早い。
朝の通勤通学に時間がかかるというのも一因だろう。
心なしか道行く車はみな先を急いでいて、慌ただしい。
「平日の都会はこうだったな。」
福岡で過ごしていた時分を思い出す。
■川越市、ふじみ野市

川越市に入り、
ますます景色は都会へと変わっていく。
標識には、東京の地名も見え始め、
「渋滞○○km」のお知らせも頻繁に見かけるようになる。
余談だが、僕は「渋滞で待たされる」とか「行列に並ぶ」といったことがどうも苦手である。
これらの状況を避けたいのなら、当たり前だが、時間帯をずらせば良いだけだ。
自分と他人の生活パターンや行動パターンが同じであるときに、人は渋滞や行列に拘束される。
だから、他人と違う時間帯に行動する、あるいは違う道を行くことで、それらは解決する。
キャリアにも同じことが言えるかもしれない。
他人とは違う道を行くことは勇気が要るものだ。
だが、他人と違う道を行くことで享受できるメリットもある。

話を戻そう。
その後も問題なく走り続け、
川越市を抜けて、ふじみ野市へ入る。
ここで休憩をとる。
今日は出発が早かったので、まだ8時。
ちょうど通勤ラッシュの時間帯だ。
町を歩いているとよく声をかけられる。
そして、「頑張ってね。」と言ってもらえる。
よく関東人は冷たいなどと言われるが、そんなことはない。
態度が飄々としているので一見冷たいように感じられるときもあるが、実際は温かく接してくれる方が多い。
それから午後になると、日差しはどんどん強くなり、気温が上昇していく。
ついこの間、長野の白馬で日中の気温が10℃程度だったことを思い出す。
長野からそれほど離れていないはずだが、この気温差は顕著なものだ。
とりあえず、猛暑の中を走るのは避け、日中は手持ちの本を読んで過ごすことに。
1冊一気読みする。
最近は、いわゆる文豪と呼ばれる人物の本を読むことが多い。
この類の本は中古本として安く売られているので入手しやすい。

日差しも弱くなってきた。
そろそろラン再開の頃合いか。
しかし、読書後のあの妙に落ち着いた気分を引きずり、なかなか走りだせない。
まるで抜け殻。
参った。
結局、この日の午後はずっとウォーキングということに。

明日東京で用事があるので、それまでに都内に到着する必要があったが、スケジュールに余裕はある。
まあ、焦らず行こうじゃないか。
この田園風景を見ていると、そういう気持ちになる。
■新座市

夕方、到着したのは埼玉県・新座市。
東京はすぐそこだ。
今夜は雨が降るらしい。
この日は新座駅近くのネットカフェで泊まる。
一気にメディア発信の作業を進めよう。
企業に身を置かず、しばらくはフリーでやっていこうと考えている僕にとって、発信はやはり大事だ。
行動だけでは伝わらないものもある。
だが、言葉だけでも人の心には刺さらない。
発信に行動が伴っていることが大事だ。
…と、自分に言い聞かせる。
ただ、発信することに追い込まれ過ぎてしまっては本末転倒なので、そこは気を付けたいものである。
[49日目・走歩行距離:24km]
日本縦断ラン #DAY 50 – 2015.5.21
大都会・東京にうろたえる田舎者
埼玉県・新座市 → 東京都
■新座市発
ネットカフェのナイトパックの都合上、午前4時に店を出る。

すると、天候は大荒れ。
100mmを超える降雨に、雷鳴がひっきりなしに轟く。
これでは流石に走るのは厳しいので、近くの牛丼屋でかなり早めの朝食をとり、読書をしながら天候の回復を待つ。

午前7時、天候は一気に回復し、日が差し込んできた。
風は冷たく強いが、走っていれば丁度良い気候だ。
一路、東京を目指す。
■東京入り
朝霞市、和光市を抜け、東京都・練馬区へ入る。

東京は意外と谷の地形が多く、アップダウンが続く。
走りながら、お洒落な若者が目に留まる。
ファッション雑誌に載っているような若者が多い。
少々うろたえる自分。
田舎を走ってきた時間が長いものだから、ちょっとした浦島気分に陥っているようだ。
ランの調子は良い。
1km5分台のペースで気持ちよく走れている。
完治とまではいかないが、だいぶ左脛の痛みは気にならなくなってきた。
■新大久保での再会
この日の午後、高校時代の陸上部の後輩と会うことになっている。
12時に新大久保駅で待ち合わせ。
駅に近づくにつれ、人の数が見る見るうちに増えていく。
途中までは走っていたが、次第に道が歩行者でごった返し、とても走れたものではない。
まあ、こんな所、走るものではないか。


ただ、この人混みの中、バックパックに「日本縦断RUN」の文字を掲げて歩いていれば広告効果はそれなりにあるのではないか。
引き続き、広告募集中だ。
結局、約束の時間に20分遅れて到着してしまったが、後輩と連絡がとれない。
10分後、電話が入る。
…寝ていたそうだ。
相変わらずで何より。
お互い様である。
二人とも南の島の出身。
こういうのを毎回、「島時間だから」と片付けてしまうのは都合が良すぎるだろうか。

しょうま。
高校時代、学年は一つ下で、同じ陸上部の長距離ブロックで共に走っていた。
離島の高校にいながら県内の強豪校の選手にも引けを取らない実力の持ち主で、
僕はいつも彼に刺激をもらっていた。

今は走ってはいないが、持ち前の真面目さで日々目標に向かって頑張っているみたいだ。
780円でビビンバ食べ放題のお店で、
お互いに近況を報告しあう。
今は就職活動真っ盛り。
気負いすぎずに、納得いくまで頑張ってほしい。
■麻布へ
この日の夜は2つ目のアポイントが麻布にてある。
新宿や渋谷などの人通りの多い道を歩いていく。
バックパックに「日本縦断RUN」の文字が掲げられているので、否が応でも周りの視線を強く感じる。
多少恥ずかしいが、別に不都合が生じるわけではないので、心臓を鍛えるトレーニングのつもりでそのまま歩き続ける。
ここで「日本縦断RUN」の文字をレインカバーか何かで隠してしまうこともできるのだが、
それをしてしまえば、都会に屈した気分になる。
いつものどうでもよい意地だ。
それに、こいつのおかげで今までたくさんの出会いに恵まれてきた。
そのメリットの方が大きい。
途中、立ち寄ったアウトドアショップの店員さんのご出身が、僕もこの旅中に通ってきた白馬村ということで話が盛り上がった。
欲しくなるトレイルギアがたくさんあったが、旅中なので諦める。
次回もっとゆっくり見てみたい。
それにしても、東京は実に人間の物欲を掻き立てる街だ。
買いたくなるものが多すぎる。
■素足感覚シューズ・無敵(むてき)
麻布で2件目のアポイント。
無敵(むてき)開発チーム様から、「素足感覚シューズ・無敵(むてき)」を提供して頂いた。


2010年『BORN TO RUN ~走るために生まれた~』が出版され、世界中でベストセラーに。
それから、いわゆる「裸足ランニングブーム」が興る。
僕も以前からこの本を読んでいたので、「裸足ランニング」に興味はあったが、なかなか手を出すまでには至らずにいた。
これを機会に、「裸足ランニング」の世界に一歩踏み出してみようというところである。

無敵の靴底には、薄いゴム版が敷かれているだけである。
昔の飛脚みたいなものと思ってもらえると良い。
この素足感覚のシューズで走ることで、人間本来の身体の動かし方を導き出すというものだ。
実際に履いてみると、なるほど、身体全体を使って歩かないと足底が痛くなる。
こうして、自然に本来の身体の動かし方に矯正されるという。
「痛み=悪いもの、取り除くべきもの」というのは、必ずしも言えない。
痛みは、自分の身体の弱いところ、問題点を教えてくれる。
そして、その改善策を考えるキッカケにもなる。
しかし、理屈ばかり言っても仕方がないので、実際に履いてみて、自分の身体で実験していくつもりだ。
ご縁に恵まれて、このようなご支援のお話も少しずつ増えてきた。
本当にたくさんのチャンスを頂いて感謝するばかりである。
ありがとうございました。